それは百合か?

またメモのような文章になるが、百合とは何かという問題である。

 

私が初めて百合に括られる作品に触れたのは、幼少期、朝の時間に放送されていた『マリみて』であった。当初それを百合だと感じたことは無かったが、のちに様々な百合と呼ばれる作品を鑑賞して私は、あれこそ私の思う百合だったのだ、と確信した。

 

他にも、『セーラームーン』のはるかとみちるなども私の好きな百合だった。あの二人がストーリーの主軸ではないからこそ、意味深なセリフの端々から、親密な関係性があるのだという想像が膨らむ。

 

つまり、私にとって百合の正体とは想像性を発揮できる意味深な関係性であった。

 

百合名作として知られる『少女セクト』も私の大好きな百合作品だ。
作中の人物は、キスもそれ以上のことも平気でしている。
アダルトなシーンがあるからレズでは?と思うかもしれない。

 

それでも、私にとって『少女セクト』は立派な百合である。

 

本作は、あまり連続性のない、1話完結型に近い構成だ。また、1話につき毎回必ずアダルトなシーンが挟まれる。その行為の中で、キャラクターたちは断片的な言葉を交わしていく。

 

例えば、第八話の桃子×隼砥先生の回では、桃子は思信というキャラクターに気持ちが傾いている一方で、学校教師の隼砥先生と関係を持っていることが判明する。二人は当然のように隼砥先生のアパートへと向かい、行為を始める。隼砥先生は最中、自身の恋愛エピソードを話し始める。幼少期から女性に興味があり、近所の女の人と関係を持ったこと、高校時代のエピソード、風俗嬢の女の子と関係を持ったこと、などについてだ。朝チュンしたその後、唐突に隼砥先生の病気が発覚し、隼砥先生はあっけなく学校からフェードアウトしてしまうところで終わる。


エピソードの終わりにはキャラクターの設定が書いてあり、桃子の場合、強烈なコロンを愛用していること、女の子に甘いこと、母子家庭であること、母親の仕事、特技などが細かく記載されている。

一見、女の子たちが性に奔放であるようにも思える少女セクトだが、セリフや設定をじっくりと読んでどういった背景があり、そのキャラクターに惹かれたのかなど想像を膨らませていくことができる点が魅力的だ。

 

だが、最大の魅力は、セックスがゴールになっていないところ、また一人だけと性行為をすること=好き、ではないとして、保守的な価値観を排除している点だ。

 

性表現をしつつ、関係性の背景をチラ見せしていく描写は、まさにエロ漫画でしか出来ない『百合』を開拓した、エロ漫画界の百合パイオニアなのではないだろうか。

 

といった感じに、私は自身の百合好きを振り返って、たまに整理している。
他にも「これは最高の百合だ!」と言える作品はいくつかあるが、長くなってしまうので今回は省略。ちなみに秋山はるさんの『オクターヴ』が大好きです。(いつか語ります)

 

なんで今その話をするのかというと、近年、百合の形をした(ビジュアル的な意味を含め)百合っぽい作品があまりにも多いのだ。想像する余地を与えてくれる百合に久しく出会っていない……気がする。(もしあったら、教えてください)

 

上記のような『好き』を踏まえつつ、近年の百合っぽさの流れとは違った作品を書けたらな~と『文学フリマ』とかイベントに向けて頑張っているよ!っていう話でした。おわります。

『天気の子』感想

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天気の子を見ました。

新海誠といえば、私にとっては、昔好きだった人に異常なまでに執着するピュアな男心(世間では童貞心と言う)を映像美で美化してくれる『秒速5センチメートルで、真っ昼間の新宿御苑で雨に濡れた大人の女性のセクシーな裸足にドキッとする『言の葉の庭でした。

 

3年前くらいに公開された前作『君の名は。』では、今までの作品とは打って変わって、音楽がちょっと病んだ10代に馴染み深いRADWIMPSになったり、新海節独特のモノローグがいつもより減ったり、若者をターゲットにしているかのようなテンポの良さがあったりで、全体の調和が取れており、結果、大衆に大ヒットしましたよね。

今作は、私の好きだった新海誠の要素を取り入れつつ、それを大衆に向けて作ったような内容でした。辻褄が合わなかったり、千と千尋のパロディみたいなシーンがあったかと思えば線路を走りだしたり、雨で沈んだ東京でどうやって作物とか経済回したんだよ!とか、おっぱいハイウェイなお姉さんや、様々な要素を整理することなく詰め込んだ本作。ツッコミどころ満載ですが、「前作より良かった」「前作よりクソだった」そんなことを客にわざと言わせるようにあえて作っているのではないだろうか……。新海誠恐ろしい子……。

 私は、新海監督のそういういたずらっぽさというか、攻撃的な人を試すような姿勢が好き、という個人的な理由で今作は前作よりはちゃめちゃ好きです。

 

 物語は、歌舞伎町の汚い東京から始まります。

『君の名は』で描かれたようなキラキラした東京というのは一切出てきません。
田舎の少女、三葉が夢見た、瀧くんが送る生活のような東京の姿とは真逆の、東京の闇だけが描かれてます。攻撃的だね!!!※しかも協賛企業の出演の仕方が完全に汚い闇の側面として登場したのがまた皮肉きいてて良かったです。怒られなかったのかな。


主人公は、家族とも友達ともうまく行ってないわけでもないがとりあえず東京に憧れてやってきて、仕事を探して、偶然、拳銃拾って、最終的にオカルト雑誌のライターというバイトにたどり着きます。そこで売れないライターのおじさん、須賀さんに再会します。須賀さんもまたこじれた人で、半分大人で、半分くらいまだ子供っぽさがるというか、青臭いです。主人公にも新海さん本人っぽい要素あったけど、ちょっとこのキャラクターにもその要素を感じます……。

 

貧乏生活の主人公はマクドナルドでぼーっと過ごし、yahoo知恵袋で質問して(この発想も非常に10代っぽくて好き)、インターネットの陰湿な説教オタクに意地悪な現実を諭されて、ちょっと不機嫌になる。

そんな風に時間を潰していたある日、マクドナルドでバイトする女の子にビッグマックを奢ってもらいます。主人公はそれを食べながら「僕の16年の人生で、これが間違いなく、一番おいしい食事だった」と思います。

ここがまた10代っぽくて良いです。この年頃ってなぜか、今まで一番とか、人生で一番とか、やたらと言いたがる年頃だと思うんです。そんなわけないだろ!と思いつつも、このモノローグの表現には納得する自分もいました。

この価値観は、須賀さんの「16?17?18?大して変わんねえじゃん」というセリフからも読み取れます。10代にとっての1歳差の大きさ(一学年上の先輩って怖くないですか?私は上下関係が厳しい学校だったので、怖かったです)が、大人の立場の須賀からは理解できないものであることがわかります。

究極のところ、主人公とヒロインの帆高と陽菜の関係にも言えるのではないでしょうか。

どうしたって、大人の価値観で考えると、こんな短期間で出会った人に対して「好きだ」や「あなたがいればいい」的な発想には至らないはずです。

 

けど10代は違う。

 

10代で出会った好きな人で恋愛の価値観がこじれたり、価値観が歪んだり、なんてざらだと思います。この点には共感できる人もいるのではないでしょうか。やたら大人びようとして、あって間もない異性に永遠の愛を誓ってみたり、「愛してる」と口走ったりするものです。そんなんありえねえだろ!と思わずツッコミを入れたくなるのは、我々が冷静さを現実で嫌々身に付けた、大人になってしまったからです……。

 

須賀さんは幸い?半分くらい帆高君に共感できる子供っぽさと、現実にボコボコにされてきた(例えば彼の娘の件とかそうだと思う)オトナな側面を持ち合わせているので、「もう大人になれよ、少年」と帆高君に厳しい一言を言ってみては、ちょっと助けてあげたり、何かと情緒不安定な行動を取ります。

須賀さんにはその中途半端さに終始イライラしたんですけど、子供と大人の側面のゆらぎが妙に生々しくて描かれていたように思えました。

 

映画の途中、ファンサービスのように前作のキャラクターの三葉ちゃんと瀧くんが登場しましたが、あれは最高の皮肉な気がしました。

前作のキャラクターが登場することで、前作で新海さんが描いたキラキラした東京と、今作で描かれた東京の闇は同じ世界の出来事、ということになってしまうからです。

ひええ……。

君の名はが光だとしたら、天気の子は闇そのもの。

すごい攻撃性を感じるんですけど……。

大衆向けに寄せていったかと思えば、そこで得たファンに伝えたいことを伝えたいままストレートにぶつけてくる。

ちょうど天気の子が公開されたのは、長い長い梅雨が続いていたタイミング。まるで、予期していたのかのようなピッタリさにも驚きでした。

今年は異例な梅雨でしたが、昨年は猛暑が話題になりましたよね。

毎年のように、夏が来れば酷暑が、冬が来れば大雪が続きますが、

観測史上初めてと報道される『異常気象』には、慣れましたか?

この世界の環境も、元々狂っていて、私たちもこの狂った世界で狂った価値観を構築していく。どうしてそこに「正しさ」や「正論」を持ち込む必要があるんだろう。

 

「世界は狂ったままでいいんじゃない?」

 

そんな、幼さを感じる問いかけに、あなたの価値観は、どんな違和感覚えましたか?

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime展のメモと感想

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お天気が悪くて気圧も低くて、陰鬱な気分のままボルタンスキー展に足を運んだ。ボルタンスキー展も陰鬱な薄暗い気分をそのまま再現したような空間だった。

入口を通ると、映像が流れている。映像は、仮面を被った表情のない男が、チロチロと舌先で人形の女の子の唇を舐めているだけの映像だった。もう既にかなり気持ち悪い。ただ男がひたすら女の子をペロペロしている映像を、暗闇の中で、色んな人たちが熱心な顔つきで見ているのが非常にシュール。(なめる男)

不安を抱えたまま通路をむと、大量の白黒写真が並べられていた。

普通の家族の写真である。その後は、モニュメント(記念碑)が不規則に置かれていた。ぼやけた、子供の顔の白黒写真を、橙色のライトが宗教的に照らしていた。目や口元のくぼみが強調されていて、遠くからぼーっと見つめているとどれも同じような顔つきで、近くで見ると個体差があるようにも思えてくる。その子をもっとよく知ろう近づいて見ても、並べられているのはただの顔写真一枚だけで、それもぼやけているものに過ぎないことに気付く。この距離感も不気味だった。

遠くから心臓音のする広い空間では、黒いコートを羽織った木の人形が点在し、中心に大量の服の山がある。(ぼた山)先ほどの写真と同じように、一つ一つの形や色を読み取ることは難しい。ただ、積み重なっている大量の衣服なのだ。自分と同じ服を纏う人には、セールで買った服とユニクロの服を着ている時くらいにしかほぼほぼ出会わないが、服が本来持つであろう個性のラベルの意味を全て取り去ったもののようで、世界史の教科書の写真にあるような死体の山を見ている気分になった。一つ一つの人間・死には意味があったのか、無かったのか。これを見ている限り、死んだ数だけに意味があったとしか思えない。

山を取り囲むように配置された人形に近づくと音声が再生され「ねえ、祈った?」と私たちに問いかけてくる。人形は全て、「ねえ」と私たちに問いかけ、それはまるで死者が、死ぬ瞬間の感覚を私たちに囁いてきているようで、そのまま悪夢に出てきそうな光景だった。この山を構成する服(人間)、一人一人の長い時間の積み重ねであっただろう人生に唐突に打たれた終止符で起きたであろう痛みや記憶、感覚を立体的に表現しているようだった。

最後の空間は、海と鯨のカラー映像だった。海の向こう側へ向かうと、(黄金の海)を渡り、出口に続くようになっている。

わかったことは、日曜日のお天気の良い日に見るものではない!ということ!

展示概要を見ればなんとなく伝えたいことは見えてくるかもしれないけど、一通り見終わるまでは、敢えて何も見ずに、見た人たちが感じ取った「不気味さ」を言語化して、どこかにシェアして欲しいなあ。これはぜひ見た人たちの感想を知りたいなと思ったので、わたしはこうしてメモを残している。

 

※メモ

新国立美術館に行きたいなと思ったきっかけが、ピエールボナールの展示で図録を買い忘れたからだった。あの展示は本当に良かった。あとあと図録が欲しくなったんだけど、なんでこんなに良い展示をみて図録を買わなかったのか思い出した。生で見た時の印象と、図録での印刷の色味が全く異なっていて、全然良くなかったからだ。

蟷螂の産卵

肉体に押し込まれるとき、肉体を押し込んでいる。

蟷螂のメレンゲのような卵が、あなたたちは所詮虫と同じようなものと言っているようで、わたしは、わたしからもあなたからも距離を取りたくなる。目には見えていないだけで、柔らかく、ふしゅっとした、あの中に、かまをもつことになるあれがわんさか詰まっているのか、と思うと、その可能性とえげつなさに眩暈する。指の腹で潰したら、ふしゅっという音を立てて、骨の折れる音がしたら、わたしはあなたにも冷静になることができるのかもしれない。ぱきっ

いつかのメモラージョ<感想>

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プレイ時間:2時間~3時間くらい

百合度:★★★★★

おすすめ:★★★☆☆

ルカ可愛すぎる:★★★★★

 

ざっくり感想

※あまりネタバレにならない程度に書きます。

まず特典。予約して買ったので成瀬ちさとさんの色紙+カナーコのストラップがついていました……!とっても可愛い……。サイケな色をしたルカも可愛い……。

ドラマCD(データ)これはかなりというか大分エッチだった。いちゃらぶではあるがエッチである。どんな顔して聞いていいのかわからずニヤニヤするしかない内容。辞書はもっと文法書的なものを期待していたので、思っていたのと違ったかもしれない……。

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【物語の感想】

批評空間にもAmazonにも今のところ一切感想がないのでメモ残しました。まだ購入されてない方の参考になればいいな~と。
前作の一部エンディングの続き、ということもあり、前作をプレイしてからの購入を推奨します……。人間関係、元ネタ、ボリューム的にも、前作をプレイしていないと楽しめないかもしれないです……。しかし大分時間が空いたんで前作の内容もかなりあやふやです……。

クダンノフォークロアと並行開発?+度重なる延期で、やや不安だったこともあり、発売後に様子を見てから買うか~と思ってました。が、我慢できずにに予約購入した次第です。ルカこと内田秀さんボイスが猛烈に恋しくなったのと、ルカと凛の掛け合いが癒されるので、そこが好きな人にはオススメです。

とにかくルカの「ん~?」が可愛い。トニカクカワイイ。スケラスパーロさんルカというキャラクターを作ってくれてありがとう……という気持ち。

今作でも言語の壁を取り扱っていて、エスペラントが分からない人は2周プレイしてより楽しめる出来になっているのは、すごく好感を持てました。ユリアーモ文字表示をエスペラント表示に変えてプレイ。このゲームのためにコツコツとエスペラントをduolingoというアプリでプレイしていたので何となく会話は理解できましたが、中盤になってくると、全くわからず……。分からないままとりあえずエンディングを迎えて、2周目は和訳表示でプレイしました。

初めから和訳表示させるよりかは、まずは自分の言語能力で凛と同じ様に、『壁』にぶち当たって見て欲しいです。そういう意味で周回プレイするには丁度いい長さなのかも。

個人的にはストーリーの中に、もっと前作のような学習要素があっても良かったなあと思いました。本作のオマケ要素はまだ触ってないです。

クダンノフォークロアも予約したので楽しみ~。志摩塔子さんのビジュアルがモロ好みだったので購入を決めました。プールで顔色を悪くしているイベントCGがサンプルで出ていたのと、手袋をしているので怪我をしているか、日差しに弱いキャラクターなのかしら……。これで悪役のようなキャラクターだったらもっと最高です……。期待してます。

ソフィ・カル《限局性激痛》を見る

原美術館に初めて足を運ぶ。住宅街にヒッソリと存在する美術館で、雰囲気は小規模な金沢の21世紀美術館みたいだ。惜しくも2020年に無くなってしまうそう。とても素敵な建物なので、ぜひ自分の目と足で形を確認して欲しい。

展示は、失恋という『不幸』までのカウントダウンで始まる二部構成だ。


一部は、原美術館の一階に展示されている。

大好きな恋人へのメッセージや写真が主で、やり取りの全てに『あとXX日』という真っ赤な消印のようなスタンプが押されている。カウントダウンによって、不穏な雰囲気を読み取ることができ、『不幸』に近付くにつれて緊張感が増していく。

一部を見たら、館内の階段を登って、二部を見る。


二部のスタートは『不幸』の現場から始まる。
『不幸』はホテルの一室で、なんとこの現場が展示の一部として表現されているのだ。二部はここに始まり、ソフィ・カル自身の『不幸』について刺繍で綴ったものと、他人の『不幸』を綴ったものがずらりと並んでいる。要は自分の辛さと他人の辛さを比較しているのだ。並べられた他人の不幸のエピソードは、どれも痛ましいものばかりなので、ソフィ・カルの『不幸』は段々と""薄れ""ていく。とても不誠実だと誰でも思うはず。

最初の感想は「気持ちが悪い」だった。

まず、周りがこういう感覚で物事を処理していたら、と考えるとぞっとする。というのも、人の体験と自己の体験を比較しないというのが、私の中のルールだったからだ。当たり前だけど比較するときりが無いし、自身が痛みを持った経験だけがその人にとっての本物の痛みという認識でいいと思っていたから。

あとは、もっと個人的な感想として、失恋という体験を『不幸』に括ってしまうのは惜しいなと思ってしまった。あまり、『不幸』を『忘れよう』としたことが無かったので、より理解が出来なかった。

だけど、この『不幸』が失恋じゃなかった場合は、どうだろうか。

ソフィ・カルの場合はたまたま失恋だった。
けど、『不幸』と言えるような出来事で心が痛まないようにするために、他人の経験と比較して「私はまだマシだ、だから大丈夫だ」と思える処理は、無意識にしてしまっているかもしれない。少なくとも、全くしてないとは言えないはずだ。


失恋という、誰でも体験する類の平凡な不幸のチョイス。
これは共感を得やすい切り口で、悪質だなあと思う。


唯一、気に入った記述はヨウジヤマモトの服(たぶん)を着る時のエピソードだ。ちゃんとこれはメモすればよかったなあと反省。次に美術館に行くときはちゃんとメモを持っていくぞ~。

 

ソフィ・カルについて全く知識が無いので、彼女がこの恋愛に激しい情熱を感じていたのかわからない。だってあまりにも、構成には冷静さを感じる。それゆえ、彼女が表面上で激情的であることを愛してるのではないか、と私は錯覚した。

 

それでもいい気分になれる展示ではないし、とても考えさせられるものだとは思えなかった。やっぱり中身は感情なので、失恋後のアクションは占い師に見てもらったりと本当に普遍的だった。そこは安心できるポイントでもあるけれど、感情に面白さを感じるには限界があるなあと。でも構成と切り口、演出は斬新で面白さがある。
あと原美術館はとてもいい場所ということを知った。2階の階段脇にあった展示は特に気に入った。あーこれもちゃんとめもれば良かったんだろうけど、廃墟のようなむき出しの空間にある管から花がひとつ咲いているという空間だった、はず。そこまで近付いて見れなかったが、薄いピンクの花だった。ありきたりかもしれないが美しい構図だった。誤解でも反復したいと思える印象を抱けて幸福だった。