7/30の夢日記

私は自習室で勉強しているAに話しかけた。自習室と私を隔てる壁はガラス張りで、Aはガラス越しに私を見ると、手のひらをガラスにぴったりと貼り付けて、終末患者のように「私本当は君が好きかもしれない」と言った。私は嬉々として、聞こえないふりをして、「え?」と聞き返す、その瞬間世界の全てが肯定されたので、私はもう一度肯定された心地よさを味わいたいと思って聞き返したのだ。私はこの心地よさを独り占めして、なるべく長続きするように(気持ちが長続きするようにというのは私の貧乏根性みたいで、料理を冷凍する要領でついやってしまう行為だ)AではなくBと一緒に帰ることにした。Bと私は雨の中、渋谷の坂を下っていった。私はBの右隣にいて、Bの腕を抱きしめて歩いていた。親離れできない子供のように。私はBに「好きな人が出来たかもしれない」と報告をすると、Bは「おお」とどうでも良さげに、だけどあなたには最低限の関心がありますよとばかりの声色で答えた。私は「Bは好きな人できた?」と聞くと「ていうか後ろにいるよ」と言って笑った。振り向くと背の高い男性が後ろから歩いてついてきていた。私はふーんこれがBの彼氏で、休みの日はめちゃめちゃラブラブなセックスをしている相手で、それが無かったように一緒にカフェに入ったりする仲の人か、と思いを巡らせて「あー」と言った。渋谷の雨は湿気を孕んでいて、気持ちが悪かった。細かい粒のような雨が耐えず体を冷やすが、地面から湧き上がってくるドブ臭いは一向に流れていくことはなく、ひどい雨の中も宙を漂う様に鼻についた。私は、「3年で何か変わった?」と興味本位で自分が傷つく質問をBにした。私は3年どころか20年以上、自分の自分に対する意識が一切変わっていないから、人の変化にとてつもない羨ましさを乗り越える妬ましさを感じるのだった。私はなぜ、そういうペースで変化することができないのだろうと、ずっと疑問に思い、いつか変化するのだろうと待っていたが、何も変化しなかった。Bは、うーんと唸ってから「自我が変化したかなあ」と言った。それは私が一番今欲しいものだったので、私にはBがもう他人にしか見えなくなっていた。

7/29

またダメになってしまった!なにもうまくいかなくてすべてが流されてしまった砂の城になってしまった、そもそも私はなぜ砂で城を作ってたのかも、わからない。ところで私は人間が大好きだ。けど人間のもつエネルギーに疲れやすい、あまりにも複雑で受け止めきれなかったり理解できないことがある、理解するのも烏滸がましいのかもしれないが、理解したいと全ての人間に対して思ってしまうのだ、こうしてなにもかもうまくいかないいまも人間を理解したいと思ってしまう、早く新しい人間を知りたいと思ってしまうのをやめられずにいる。どうしてだろう、わからない、わからないけどやめられない、また砂の城を作ってしまいそうで怖い、次は上手にできるだろうか。

君はキンダーチョコレートを覚えているか

キンダーチョコレートを覚えていますか。

正式にはキンダーサプライズというシリーズなのですが、私はあれがとてつもなく大好きです。

キンダーチョコレートに出会ったのは幼稚園くらいの時。近所のスーパーでふらふらとお菓子コーナーを覗くと、うすい銀紙のようなもので包まれた卵型のチョコレートが、卵パックに入って並べられていた。時々子供がいたずらして、銀紙をはがしたり、チョコレートを指で強く押したりするものだから、中身のチョコレートがぺろんと剝がれた銀紙から顔を出していたりと、常に衛生的に微妙な状態で売られていた。チョコレートは舌で溶かすと、甘っ!ってツッコミを入れたくなる勢いがあるミルク風味の甘さで、卵を割ると、中にカプセルが入っていて、それを開けるとしょぼいオマケが入っていた。私は今でもくじを引いたり、何が入っているかわからない食玩に惹かれたり、何かと安っぽいギャンブル好きなんだけど、キンダーサプライズは中にがっかりするおもちゃが入っていながらもたまらなく楽しくてだだ甘い思い出しかないくらい気に入っちゃっていた。その後、キンダーサプライズはおもちゃのカプセルが喉に引っかかるからという理由で国内で販売中止になってしまい、見かけなくなってしまった。

ところが、私は国内で買えなくなってしまった後、幸運にも2回ほど口にする機会があった。1度目は、たまたまカナダに留学していた時。ショッピングモールで1ドルショップ(日本で言う百均)に入った際に、なんと1ドル(カナダドル)で無造作に陳列されていた。ちなみに衛生面が危ういのは相変わらず。思わず爆買い。ホストファミリーの子供が隣で「オトナなのにキンダーサプライズが好きなの!?」と笑っていたが、なりふり構わず大人買いをしてしまった。こんな時ばかりしか大人であるメリットってない気がする。その子が私があんまりにも子供みたいにはしゃぐものだから日本に帰国する前日、キンダーサプライズをくれたのだ。これはうれしいサプライズだ。なんていい子なんだ……人の好きなものをプレゼントできるなんて君はとってもモテる男の子になるだろう、と感謝して、ありがた~く頂いた。

2度目は、友達にタイのお土産として頂いた。私が何遍も「キンダーサプライズが恋しい」とぼやくものだから頭に刷り込まれたのか、わざわざ買ってきてくれた。これもありがたく頂いた。こちらは、キンダーチョコレートの中でも、サプライズのと同様、おもちゃが入ったシリーズだけど、従来のカプセルは無く、卵型のパッケージを開けると、片方にはチョコレートペーストが入っていて、もう片方におまけが入っていて、誤飲しないような工夫が施されていた。

最近は、輸入雑貨店などでサプライじゃないキンダーチョコレートのチョコレートだけを取り扱っていることに気付き、ドキドキ感は無くなったものの、時々、つい手に取ってしまう。

今現在売っていて、食べたことがあるのは、カバの顔がモナカにデコレーションされたキンダーチョコレートと、ミルクのペーストが詰まったもの、アーモンドが入ったスティック状のものと様々な種類がある。もちろんどれも美味しい。一口食べると、絶対にきびができるとわかるけどやめられない、やみつきになるミルキーさが特徴。

そして、何よりも、あの駄々甘さにつきまとう思い出が、キンダーチョコレートへの思い入れをより深くしていった。チョコレートの甘さと共に浮かぶのは、楽しかったカナダでの生活のことや、幼稚園で毎日友達と外を駆け回った、何かといい思い出ばかり。だから私は、落ち込んでいる時や疲れているときに、あの味と、あの味が連れてくる思い出が、無性に恋しくなってしまう。大人になっても、あの味が忘れられないのだ。

森茉莉と食と私に関するエッセイ(改稿)

先日、邪宗門という世田谷にあるカフェに足を運んだ。下北沢駅から迷路のように、人の溢れる都会の街をくぐり抜けて、だんだんと人気が無くなってきたころに、ふっと現れるカフェだ。
私はスマートフォンで表示した地図を見ながら、あっちかしら、こっちかしらと迷いながら、ようやく、住宅街の中に異彩を放つその店を見つけた。
店の雰囲気に誘われるようにドアを開けて中に入ると、外観の雰囲気とは打って変わって気さくそうな店主の方がにこやかに微笑み、「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
席につくと、「森茉莉のファンの方ですか?」と尋ねられ、私は一瞬、戸惑い、曖昧な気持ちで「はい」と答えた。そして、少しの罪悪感が訪れた。私はある理由から、「はい」と答えてしまってよかったのか、わからずにいた。
「茉莉さんがよくいたのは、あの窓辺の席ですよ」と店主の方が指さした先にあった席は、窓を後ろに、ひとり、読書に耽るのにも些か狭いのではないかと思うくらいの窮屈そうなスペースだった。しかし、その場所で原稿と向き合う森茉莉の姿を、私は容易に想像することができた。考えてみると、体の細い茉莉さんにはちょうど良かったのかもしれない。
「茉莉さんはね、一杯の紅茶だけで一日を過ごしたり、執筆活動をなさったりしていたよ。」
私は邪宗門名物、森茉莉ティーを頼んだ。なんでも、森茉莉が、店主にこっぴどく紅茶の入れ方を指導して作られた店の、というよりも、森茉莉のためのメニューだそうだ。
森茉莉ティーを頼み、あの席で邪宗門を過ごすのは、森茉莉ファンのあこがれだろう。実際に、カフェにあるファン同士の交流ノートには、「同じ席に座るのが夢だった」といった感想があった。交流ノートの他にも、邪宗門森茉莉についての記事が掲載されている雑誌や資料を見せてくれた。私は森茉莉ティーを片手にいくつかの雑誌のページを捲った。
ぎゅううううう……と、お腹が鳴りそうになるのを、必死にこらえて、私は彼女の文章に食いついた。

ここまでくるともはや弁解の余地はございません、といった感じである。さようでございます、私は食欲に背中を押されて彼女の文章の虜になってしまった、というただの食いしん坊なのです。

初めて森茉莉の名を聞いた時のこと。あの時は、国語の授業の時間で、血眼になって、漢字で埋め尽くされた鷗外の舞姫に向き合っていた。おまけにそれはお昼前の授業で、私は空腹とも戦っていたから印象的だった。
「今日は学食にする?お弁当持ってきた?」なんて、ひとたび誰かが言葉を漏らすと、いよいよ学生の集中力が途切れる。教室でおしゃべりがひそひそと始まり、教師は、教科書の解説をやめて、鷗外の文学史を話し始めた。ここで偶然、余談として話題に上がったのが森茉莉のことであった。続いて、黒板に名前らしきものが書かれた。森という苗字の後に、異国の人を思わせるような音を持つ名だった。
森茉莉
・森不律
・森於菟
今でいうキラキラネームのインパクトは凄まじく、誰もがちょっと顔をしかめた。まるでファンタジー漫画のキャラクター達のような……。もちろん、当時学生だった私も、同じように顔をしかめていた。森茉莉が登場したのは高校三年間の授業で、その一回きりではあったが、字面と読みのインパクトで、みごとに頭の片隅にこびりついてしまったのだ。

森茉莉
鷗外の愛情を一身に受けた娘。黒板に書かれた人物名のうち、最も普通そうな字面だが、彼女のエッセイを一ページ、また一ページと捲っていくと、そこには、普遍なんぞという言葉を持ち合わせていない、途轍もない変わりものがいた。

そして、最近になってようやく彼女の著書を手に取ることになった私は、普通じゃない食へのこだわり、他者からしたら厄介極まりない、尽きることない食欲という欲望を持ち合わせていた。だからこそ、ひとたび手に取ったら、次々と口に放り込みたくなるような小さなクッキーのように、病みつきになった。

私の背中を強く押したのは、他でもない、食であった。

私は、相当の好き嫌いが激しい。好き嫌いの激しさゆえに、人と険悪なムードになってしまうほどだ。ふらっと訪れたランチで口にする肉や魚は、臭い、血の味がするだの騒ぎ立て、ギトギト油の料理を食べると翌日までお腹を壊す。上司に誘われて食べに行った1000円ほどのランチの肉が噛み切れないほどのかたさで、咀嚼するだけで「ウプ」となり、爽やかな笑顔を作ってから席を外し、トイレに行って吐き出した。(なので、お喋りの内容なんかよりも、食というか、味覚の趣味が合わない人とは親しくなれない、味覚の方がよっぽど正直なので)とにかく美味しくないものがダメなのだ。
こうして私から離れていった人は数知れず。いつか私の周りから誰もいなくなるんじゃないかという恐怖に駆られ、とうとう、料理を始めることにした。
幸い、料理をすることで、私は、少しずつ、自分の好みの味付けを知り、料理のレパートリーを増やしていくことができた。知れば知るほど孤独は加速したが。
新しい好みの味をはっけんするために本屋へ行くと、料理本が置いてあるフロアで二時間ほどレシピを眺めて、どうしたらもっと美味しくなるのか、好みそうな料理はないか、とうろうろとしたり、じっと頭の中で一連の作業工程をシュミレーションしたりして過ごすこともある。これがまた楽しい時間の過ごし方だということもわかった。
そうこうして、私は出会ったのだ。森茉莉のエッセイを料理本の中で見かけ、なんとなく手に取った。どこかで見たことがあるような、と思い、学生時代の、国語の授業でほんの一瞬よぎった。ふたつの点と点を繋げた架け橋は、食欲だったのだ。
ページを捲る。殆どが食についての話題で埋められているではないか!
おまけに、相当面倒くさそうなまでに料理だけでなく、生活についてあれこれ言っている森茉莉がいた。
冷たい紅茶に使う氷は、決まった店のものじゃないと嫌だ!とわざわざ氷だけを求めて買い物に出る森茉莉、料理の腕は一人前だがその他全ての家事生活は怠惰だった森茉莉、ときに少女のように父、鷗外を思う森茉莉、カーディガンをたくさん買い込んで箪笥にしまっている間にうっかり虫に食わせてしまって夜中に「誰も見まい」と川(!?)に流しに行く鷗外一家のことなど。
 読み終わる頃には、参りました、という気持ちにさせられたのだった。

さてさて、ここまでくると、嫌でも彼女の味覚を知りたくなるのではないだろうか。私が手に取ったエッセイや邪宗門に置いてあった資料にも掲載されていたレシピをメモして、それに倣い、『牛肉とキャベツの煮込み』を作ってみることに。幸い世の中は日々便利に進化を遂げているので、私のように、食欲に背中を動かされなくてもインターネットでレシピを見ることができますが。

『牛肉とキャベツの煮込み』
インターネットのレシピでは、どちらもブイヨン、コンソメキューブを使っておりましたが、今回は使わないで、出来上がり際の塩コショウのみの味付けのみに。以下私が行った手順。

1,牛スネ肉(150g)とキャベツ四分の一ほど(なるべく多くした方が良かったかも)を深い鍋に入れて、水をひたひたにして15~30分ほど中火で煮る。この時、肉がキャベツに覆われている方が良し。

2,沸騰してぐつぐついうと、アクが大量に出るので、すくってきれいに取る。アクが沢山出るので、水はひたひたにする必要があるのだ。水が足りなくなったら、その都度足しても良し。沸騰してアクを取ったら、弱火で3時間半くらいの時間をかけて、蓋をして煮る。

3,肉がホロホロになったら、塩コショウで味を調整して、火を止める。器に取ったら、適当なサイズに切り分けたトマト(私は皮を取った)を入れて、刻んだパセリをかけて、完成。お好みで醤油をつけて食べる。

以上です。超超簡単。ほぼ、ポトフの手順と同じですね。私は肉の臭さが苦手なので、ポトフを作るときはセロリとブーケガルニを入れてさらに野菜を入れています。しかしこのレシピは肉の臭みを消すといったことをあまりしていないです。シンプルな味付けでどういうものが出来上がるのかあまり想像がつかなかったので余計にワクワク。

で、食べてみたました。おいしゅうございました。
恐らく、パセリとトマトが重要。スープは塩でもじゅうぶん引き締まるようになっており、肉の濃さや味の強さが、トマトの甘さで中和されつつ、パセリがハーブ代わりになって程よく臭みを消している。ちゃんと具材の役割が見えてくるレシピだ。薄味だが、自然なおいしさがやみつきになって、箸が止まらない。

ところで、森茉莉は、料理は精神をこめないとダメと言った。

溜まった疲れが出やすい季節の変わり目に、とくに美味しく感じるのではないだろうか。労働続きで、味の濃い料理に慣れてしまい、飲み会続きな人たちに、特にお勧めしたい。初めはやや薄味だと感じるかもしれないが、ありったけの精神を込めて自分のために料理をすることは、体や精神のためになるだけでなく、味覚の休息にもなるだろう。

私たちには、読書に耽ることが楽しくて仕方がないと感じる時がある。読書は、ふらっと気持ちを寄り道させるような、自身にゆとりを持たせるための、心の散歩だ。それと同様に、味覚も同じようにさせてやって欲しい。時間の流れが、激しさを増していく中で、可能な限り、あらゆる感覚を意識し、時の流れの速さに感覚や感情が摩耗しないように、ふらりと原点に返る時間を、大事に、大事にしてゆきたいものだ。ぐつぐつと煮込まれる肉や野菜をぼーっと見つめるのは、やたら食にこだわりを持った私のような人間以外にも、蝋燭の火をただ見つめる時のような穏やかさがあるのだよ。さあさあ、食欲に背中を押されたあなた、今がその時です。もっとも、これは食いしん坊な女の戯言であるが。

過去

私は内側にしか目を向けることができないから、溜め込んできたことを噛み砕いて俯瞰して物事を見ている、しかし他人は常に外側をみて、内部に何がどれくらい溜まっているかなんて見やしない。それが、羨ましかったりする。彼らには、未来しかないのだと思うと。

主治医が亡くなってしまった

身内の人間を亡くしてしまったかのような衝撃を受けた。高校時代から7年近くお世話になった精神科医だったがゆえに本当に悲しくて残念だ。立ち直れないかもしれない。あんなに良い医者はいないと思う。精神科医というのは、テレビに出ているような神の腕を持った名医などの分かりやすさが無く、患者とラポールを形成する必要がある。患者が医師を信頼し、何でも打ち明けることが出来て、患者が自ら自然にふるまえる関係を築かないといけないのだ。患者がどこがどうでどのくらい悪いなどと適当に嘘を吐けば、目に見えない心のことなので、薬は大量に処方されるわけだし、医師だって患者から金を奪おうと思えばいくらだって奪うことができるはずだ。実際、某有名な精神科医は大量に薬を処方するヤブ医者で有名である。それくらい精神科医で良い医者を探すのは大変なのだ、患者側としても藪から棒に薬を処方して薬漬けにしてほしいだなんて微塵も思わないし、自分が一刻も早く良く分からない症状から解放されたくて精神科に通うのだ。精神的に不安定だという状態でありながらも、こちらも強い理性をもってして医者を見ないと、薬漬けにする医者にあたる可能性だって低くはない。というか高い。そんなご時世で時間もなく余裕もない病人が強い理性と意思を持って理想の精神科医を探すのだ。私は本当に運が良く出会うことができた。結婚相手を探すくらい難しいぞ。いつも30分も時間を取ってくれる上に、号泣しながら病院に行っても冷静に取り合って話を聞いてくれたし、そのおかげで、多かった薬も徐々に減り、悪夢を見る回数も減り、殆ど寛解に近い状態になっていた。感謝してもしきれないくらいお世話になった。勿論、私の体調が以前よりも良くなったのは、両親や友人に支えてもらったり、職場の人が親身になってくれたおかげでもあるが、先生はまさに友人や両親に近いくらいの重要な信頼関係を築けた相手だった。病院に足を運ぶと、事務の方々が山のようなカルテを処分しており、泣きそうになってしまった。私や他の患者の人たちと先生がやり取りしたことすべてが処分されてしまうのだ。最近就職した私は体調を崩して内科にかかり、その院内の紹介で精神科医にあったが、教科書的な診断をくだされた。先生はその診断に対して「診断の判断はあってはいるかもしれないけど、あなたがここまで頑張ってこれて、徐々に良くなってきているのを知っているから、診断書に書いてある通りの対処法をするのはちょっとちがうんだよなあ」と言っていた。

ついこの間のこと。先生が体調を崩した際に、病院に通う患者の人たちが「先生にお大事にしてくださいとお伝えください」、「先生は大丈夫なんですか。心配です」と言った言葉を事務の方々に伝えていた。この光景をみて、やっぱり先生はきちんと患者と信頼関係を築くことができている名医なんだなあとしみじみ思った。先生が亡くなったのは、その矢先の出来事だったので本当に悲しい。事務の方々にもすごくよくしてもらい、「本当にお世話になりました」と短くお礼を述べたが、本当はそんなもんじゃたりないくらいの感謝の気持ちと、言いようのない悲しい気持ちでいっぱいになっていた。感情をうまく表現できない私は、人が亡くなった時の決まり文句を、普通を取り繕って伝えてしまい、帰り道をボロボロ泣きながら歩き、ひとつテンポの遅れた気持ちを連れて病院を後にした。

はじめて立ち食いうどん屋にいった

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立ち食い系の食事をあんまりしたことが無いのと、うどんが好きだからという理由で、先日、はじめて立ち食いうどん屋さんに行った。丸亀とかは行ったことがあったが、あそこは一応座ることができるうどん屋だ。私は何かわからないけど湿っている空間が昔から苦手(湿り気はジャパニーズホラーっぽい)なのだが、私が行ったうどん屋はまさにそんな感じで、店全体がジャパニーズホラー作品に出てきそうな湿り気を帯びていた。嫌な予感を感じながらうどんを注文してテーブルに持っていって食べようとしたところ、目の前に洗い場があって、パートのおばちゃんらしき人がインドの皿洗いのように物凄い雑にどんぶりを洗っていて、めちゃくちゃ食欲がなくなった。もうダメだと思ってうどんをとりあえず一口、口にしてみたが、魚介系の出し汁で、魚介の臭みとインドの皿洗いのイメージが重なって吐きそうになり、友達に全部あげた。丸亀とかサブウェイはライブ感を出すために客の目の前で調理するが、それとは逆のライブ感が出てしまったのか、私の心は途端にインドにトリップしてしまったようだ。