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冷静と失禁の間

アンハッピーセットのオマケは幸せな夢を孕むのか?

推薦された子、されない私

小中高の成績通知のときに100000000回くらい言われた『キョロキョロしている』『話を真面目に聞いていない』という言葉にありえんくらい傷付いてるしそんなつもりないのに誤解を招く行動を100000000回くらい取ってるらしい。

今でも本当によく覚えているのが体育館でダンスの練習していたとき。

練習中に突然音楽が止まったかと思えば一人の女の子がわたしに向かって真っ直ぐに歩いてきて、「お前が真面目にやらないから周りが迷惑してるんだよ、真面目にやれよ」と言って、わたしは真剣にやっていたつもりなのにただ、「ごめんなさい。ちゃんとやります」しか言えなかった。30人以上の知り合いがいるなかで怒られて、それからダンスも嫌いになった。

今思い出しても、わたしはそのときなにかミスをしていたとは思えないし、絶対に、クラスで出来損ないの同級生を指導してリーダーシップを取っているつもりの雰囲気を出すための道具にされていたとしか思えない。

もう21年も生きているがわたしは大体どの集団にもいる、出来損ないのノロマの優秀な人間を引き立てるための役を続けている。

あのとき私を叩いた人も見事、遭遇したノロマに罵詈雑言を吐くことによって素晴らしいリーダーシップを発揮し、見事推薦を勝ち取った。

一方でわたしは、引き立て役としてズルズルと生きて今も何とかグズグズしながら社会にしがみついている。引き立て役もここまで続けた甲斐があったと思う反面、続けた果てにあるのが松○病院とかでないことを祈るばかりだ。

『シン・ゴジラ』感想

感想 映画

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ごちゃごちゃした会議や決まりに則って許可を得て、作戦を立てて、ゴジラの動きを止めようと奮闘するが、ゴジラは人間たちのめんどくさいやり取りを無視して全てを破壊していく。それでも抗おうとあれやこれやと策を練るが……というあらすじ。

一応、ゴジラが何をエネルギー源にして活動しているのか、などは劇中で明らかにされた。
しかし、ゴジラが破壊していく中で生活している人たちがあまり描写されていなかったせいか、突如全てを台無しにされる気持ちに入り込めなかったかも。
国民がゴジラによる一方的な被害に取り乱していく様子は、ゴジラが来て、とりあえず逃げ出すというシーンでしか伺えなかった。

全体的に、エヴァQの時に同時上映された作品を、尺をのばして見易くしたような内容だった。
林原めぐみの朗読もあって詩的な雰囲気があって、あれはあれで好きだったけど『シン・ゴジラ』ではそういった雰囲気は一切無い。逆に無かったからこそ、セリフが増えてみやすくなったのかもしれない。それが、結果的に良いのか悪いのかは人によるかと思われる。

個人的に見所だと思ったのは、ゴジラが街を停電させたシーン。街中の雰囲気が何となく好きだったのと、その後にとにかく物を破壊していくシーンは爽快感が伴う。あとは電車での反撃など。(ネタバレを避けたいので曖昧な表現)
停電が好きなのは、街という不自然な作り物が不必要に照らされていない、かつてあった本来の夜を一時的に取り戻しているからであり、わたしがただ停電を魅力的に思うだけな部分が大きい。

エヴァという大作に集中し続けているより、やっぱりこういう創作という形で少しずつ発散して気を紛らわすことも大事なのだろうと思う。
長い時間、それも期待も大きい、ひとつの作品に向き合うのは大変なんだろうなあ。
庵野監督なりの息抜きになっている作品だったのかな……。
より一層、期待や心配の声が高まる中、同じように首を長くしてエヴァの続きを楽しみにしております。

それでも作品を作ってくれることは、わたしにとっては、内容はどうであれ、創作の意思が見えて、Q以降の空白の期間で高まった不安は少し紛れました。
一方で、無沙汰は無事の便りとも言えてしまいますが。

インターネットのうた

インターネットがまだ無い時代
君をいじめた人たちには、みんな友達がいた

暴力やゲームや会話に至るまで、いろんな事に磨きをかけて必死に作った繋がりを使って君をいじめて苦しめた
君は一人でしくしく泣く、さめざめと泣く
誰も君の主張や文句を聞いてくれない
君には味方がいなかった
君には誰かを自分の周りに留めておける能力が無かったから

インターネットに溺れてからは、君の能力を知らなくても、君の発言は、君以外の誰かの発言として認められるから、君のものじゃなくなるから、匿名だから、すごく楽に響いて、みんなが君の発言を見ていて、評価してくれる

君がかわいくなかったり、君が優しくなかったり、君が勉強ができなくて、君に趣味がなくて、君に人と会話をする能力が欠けていても、そんなことお構いなしに
インターネットで君は悪くない、悪くないのに、評価されたくて、君は君であろうとしたくて、君が君だって気付いてほしくて、自分である苦しみを自分で捨てて手離したのに、どこかで今日も『わたし』であることを望んでる

『わたし』であることが必要とされない世界で溺れている
きみは、ひどいことや過激なことを言って、インターネットがなかったら近付けなかった人に勝手に近付いたつもりになって、ここは海だから、繋がっているつもりになって、自由だと勘違いして、簡単に届くから、傷付く人を見て、ああ自分の声は届くんだ、と思い込んでしまう

インターネットに繋がるための電源を気ったら、オフにしたら君のインターネットを介して得た人間関係は殆ど脆く、消えてしまうのに
もう遅いよ

あの可愛いピアニストの女の子に
あの綺麗なモデルさんに
あの頭の良い大学に通ってる子に
テレビに出てる有名な学者に
売れている作家に 
同じ空間にいれるだけの努力をしてこなかったのに
溺れて息継ぎも知らない君は、すぐに、今すぐに!と、もがいている

最初に自分を放り投げてそこに飛び込んで、気持ちよく泳ぐことを選んだのは他の誰でもない君なのに

誰のせいでもない
もうずっと暗い海
底もない
せめて自分の体を千切って可愛がる事しか
ここではやることがないんだよ

バタートーストの焦げた匂いみたいな話

あんなにも料理が嫌いだったわたしが、母親の能力を少しずつ吸い取るようにして、食材を買い、料理をするようになった。その日のために、簡単なものから、徐々にレパートリーを増やしていった。

わたしが作ったきんぴらごぼうを、「汚ないから」と、ひどく潔癖な父が、こっそりと捨てた夜のことは今でも鮮明に覚えている。

昨日のこと。
「一口くれよ」と、父は言って、焼きたてのバタートーストを自ら千切って、私の皿から、自分の皿に持っていったんだ。

それがどういう意味か、ほんの気紛れなのか、わたしにはまだよくわからないけれど。
父がわたしの味付けに慣れようとしているのは、少し寂しくて。
父がわたしの姿に、母の面影を見出だしてくれたのならば。
もしかすると、が近いのかもしれない何て思ってしまう瞬間がある。

何事も見た目から、と世間は言うが、父の明日の弁当のためだけに深夜まで料理本と格闘する母親の、母としての姿勢を見よう見まねで真似できるものだとは、料理のそれもしかり、わたしには到底思えない。

私が持っている道はとても狭い、私が歩いているところは近道でも遠回りでもない。
私が歩いているところは、他の誰かが歩いていたところなのかわたしはまだ知らない、知らないけどこの道を選んだ。道はわたしに選ばれて道となったのかもしれない。

人、一人通るのがギリギリなくらいの道だから、わたしは決して誰かとすれ違うことはできない。人と人との距離が広がらないように、追い付けるように、見えなくなる前に必死に、前方にいるかもしれないその人を追うだけ。わたしはすっかり、どこを歩いているのか忘れてしまう。

隙間の道を作る建物は、高い高い壁なのか、近くの人の笑い声すら聞こえない。でもわたしはどこかであたたかさをしっかりと感じ取っている。

頼りになるのは、しっかりからはほど遠い不確かなあたたかさだけ。
わたしは後ろを見てどれくらい自分が進んでいるかを確認してしまいそうになる。
それでもはっきりと、朝がやって来て、やがて昼になり、夜を追いかけて星が次第に散らばっていくのを脳に焼き付けながら経過を確認する。

わたしが歩く速度とは違う一定のペースを保ち続けている、これもまたあたたかさといいたい。

こどもと鉄の塊笑顔

今思えば、幼稚園の頃が一番幸せだったのかもしれない。

私の通っていた幼稚園は先日潰れてしまった。

ある日ポストの中に、来年度からの募集は停止とだけが書かれたシンプルな手紙が入っていた。わたしは、その、無駄のないシンプルな内容を舐めるように読むわけでもなく、適当に手紙に視線を向けただけで内容を理解できてしまうような代物をすぐにゴミ箱に捨てた。

そのあと、大学から帰る途中気になって元幼稚園に足を運んでみた。誰もいなくなった、狭い土地には大きなアスレチックと小さな建物、その隙間から殺風景な教室が見える。子供たちのいないアスレチックは何とも不気味な物であった。もうアスレチックは遊ぶための場所ではなくなっていた。狭い土地にあるのは、アスレチックではなく不思議な形をした、ただの古びた鉄の塊になっていた。

 

映画『箪笥』を思い出した

感想 映画

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人が一生かかって背負っていくべき、目を向けていくべき苦痛を、さらりと描写した映画が好きなので、久々に『箪笥』をみたいと思った。

『箪笥』は韓国の古典である『薔花紅連伝』をもとに作られた作品らしい……(読んだことがないので映画がどれくらい原作に寄り添っているのかわからない)角川ホラー文庫から出ている『姉妹』とマンガ版も一応読んだ。(あんまり内容を覚えてない)
 
あと、フライヤーが結構有名な気がする。パロディで日本の映画作品や洋画やら色々出てくる。わたしも『箪笥』に触れるきっかけとなったのは、このフライヤーだった。
手前二人が、姉妹の女の子達で、左側に座っているぐったりした子が妹のスヨン。右に座る、儚げながらも、しっかりした印象を持たせる子が姉のスミだ。
家族写真を思わせる配置で、血液の付着した真っ白なワンピース、手を繋いでいる姉妹、不自然なほどの完璧な笑顔を浮かべる母親と、気難しそうな雰囲気を持つ父親
パッと見で、情報量が多くて、キャラクター同士の繋がりや個性がかなりはっきりとわかる良いデザインだと思った。
 
作品のなかで一番演技がうまかったのは母親のウンジュ。顔立ちも、いかにもプライドの高そうな母親で、神経質に姉妹たちに接している。
 
ラストシーンの種明かし部分が、若干雑、というかあからさますぎでは……とおもうところあるが、衣装や美術がとにかく可愛らしく、メインテーマが印象的なワルツ調の曲なので何度も見返したくなる。
(サウンドトラックにはメインテーマのボーカル版も入っていました。歌詞はもちろん、韓国語ですが英訳も隣に表記されていたので、内容理解には問題ないと思われます。)
撮影現場となった館は実際に幽霊の目撃情報が何度もあるような場所だそう。しかし、特典映像のインタビューでは、そういった現象は一切起きなかったとか。
 
以下ネタバレを含む感想 続きを読む