冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

6/18

眠りが浅いので、頭痛外来でもらったテルネリンを毎日飲んでいる。これを飲むと、パソコンで言うところの強制シャットダウンみたいな状態になり、全く動けなくなる。よく眠れるというよりかは、気絶に近い状態になる。風呂に入る前に服用したら危険だ。怖いけれど全く眠れないのでしょうがない。

梅雨に入って日中の眠たさが半端でない。かなり具合が悪い。

古本屋のネット通販にたまたまガロがあったので注文してみた。本当はねこぢる特集(1992年6月号)が欲しかったのだけれど(これを最初に読みたいと思っていた)あんまり見かけないもんだから、とうとう痺れを切らしてねこぢるとは関係ない97年4月号と7月号、98年4月号を購入。情報量の多さというか、ビッシリと埋め尽くされた文字の小ささに驚いたし、面白いと思えるものがあった。

 

全然関係ないんだけど、小学生くらいの時に聞いた音楽があまりに素晴らしいものに感じられ、「これ以上綺麗なフレーズなんてないだろうなあ、この先は絶望的だろうな」と当時ぼやいてたんだけど、そうでもなくて定期的に「これ以上いいものはない!」って思えるものがちゃんと発掘されるなり発表されたりしている。音楽に限った話じゃなく。でも、これはこれで本当に絶望的なことなんだよ。

 バベルの図書館を読む度に感じる絶望感に似ている。

でもきっとまだまだ知らない面白いものも沢山あるし、沢山あるんだろうなってことにワクワクしつつも発見できてない自分のレベルの低さに憂鬱になる。今日も憂鬱になっている。

6/14(午後)

バイトの時間だ、化粧しなきゃと思って鏡を見るとボロボロ涙が出てくる、出てくる。ひとしきり泣いて紅茶を飲んで落ち着かせてからまた鏡の前に立つと反射的といってもいいくらいにまたボロボロと垂れてくる。でも比較的理性的な人間なので真っ赤に腫らした目でバイトにはちゃんと行く。バイト先で泣いてしまったら『トイ・ストーリー3』見たら涙が止まらなくなったとか嘘をつこうと思った。今はとにかく無気力だからうまく嘘をつける自信がないんだけど。

6/14

ふいに無気力になって死についてぼんやり思考を巡らせていると涙が止まらなくなり、バイト先で泣いてしまった。

電車かもしれない

バイト先の駅周辺で割と自殺がある。地下なので血と肉の臭いが地下鉄独特の湿気に溶け込んでいるのかと思うとゾッとする。もともと電車が凄く苦手で、一駅ごとに降りてトイレ行って一人になり、心を落ち着けてからまた電車に乗りなおして目的地に向かう……そんな感じのことを繰り返して頑張って出かけていた。あんまりにも具合が悪くなりやすいのでとりあえず朝起きたらヨガして体動かして豆乳を飲んでヨーグルト食べてビオフェルミン飲むようにしたらちょっとマシになった。

でも、人身事故みたいな予想外の事が起きると、また具合悪くなって気持ちが悪くなり、さらに混雑で人酔いしてまた具合が悪くなる。暑さ、周囲の乗客の苛立ち、死の名残の重々しさが車両全体を包み込み、気分の悪さが尋常じゃない。急停車してサイレンが鳴った電車を面白がって写真に収める人間もすごく怖いし、「人身事故なう!」と映像に残す気持ちも理解の範疇を超える。一体人はどこまで残酷になれるんだという可能性を感じながら、実際、黄色い肉のぶつぶつ(脂肪?)が混じった水っぽい血液を見ていると、知らず知らずのうちに「アー」と呟いている自分がいる。

母の日

先日は母の日だったので、初給料で祖母にプレゼントを贈るついでに母の日のプレゼントを購入した。生憎、カーネーションは、学校帰りの学生たちが行列をなしていて買うことができなかった。私が買ったのは紅茶。本当についでくらいの品で、紅茶一パックとクッキー一枚が大袈裟に包装された500円以下のしょぼいものだ。けれど、母はそれを受けとると、ぱあっと顔色を明るくして喜んだ。「これはずっととっておいた方がいいのかしら!」と、新しいおもちゃを与えられた子供のように喜んでいた。その様子を見て、本当に喜んでいるということがわかると、心から申し訳なく思い、そして罪悪感が生じた。

ここまでわたしは母親を放置し続けてしまい、母になにもしてあげられないでいたんだ、と。本当に、こんな些細でちっぽけなもので喜んでしまうくらい、私は母親に溝を作らせていたんだと気付かされた。

そのあと、申し訳なさすぎて部屋でひとり、泣いてしまった。わたしは母親に「ありがとう」と言われても「どういたしまして」と返事をしてあげられるほど素直になれない、母と同じような溝を持っていた。

リビングに置いてある、綺麗なお菓子の缶の中に、紅茶のパッケージのビニール袋が丁寧に保管されていた。中身のない、ただの破れたビニール袋なのに大袈裟だ。バカじゃないかと思った。クッキーも同様に割れないよう、きちんと保管されていた。あのまま腐ってしまうんだろうなと思った。

明日の天気あめ

信用していない。知っている。知っている、大体わかる、明日、明後日の天気が風や空気中の匂いに含まれる我々がそれを感じ取れるようなくらい簡単なことであるからだ。馬鹿だと思う、インターネットに毒され過ぎで言語だけで取り繕えると思ったのかもしれないけれど、人間自体はそこまで出来損ないではない。どんなに言葉が決まりきった形におさめられても、打ち込まれるフォントが統一されていても、そこに含まれる情熱や狂気はきちんと機能している。阿呆、阿呆。お前が嘘をついていることくらいすぐにわかるんだよ。空気を読めばかやろう。

問題は私だよ、ばかやろう。

理路整然として狂いのない短文に、意味を求めてしまうおろかものだよ。ログを見返して、私が求めている感情が、丁寧さが、誠実さが、一貫した優しさが、あるんじゃないかって遡って、探してしまう私が愚かだよ。

もう会話してない、ほとんど体裁を保たれた我々の会話、呼吸を止めて見返すログに空気もクソもなにもない。