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冷静と失禁の間

アンハッピーセットのオマケは幸せな夢を孕むのか?

バタートーストの焦げた匂いみたいな話

あんなにも料理が嫌いだったわたしが、母親の能力を少しずつ吸い取るようにして、食材を買い、料理をするようになった。その日のために、簡単なものから、徐々にレパートリーを増やしていった。

わたしが作ったきんぴらごぼうを、「汚ないから」と、ひどく潔癖な父が、こっそりと捨てた夜のことは今でも鮮明に覚えている。

昨日のこと。
「一口くれよ」と、父は言って、焼きたてのバタートーストを自ら千切って、私の皿から、自分の皿に持っていったんだ。

それがどういう意味か、ほんの気紛れなのか、わたしにはまだよくわからないけれど。
父がわたしの味付けに慣れようとしているのは、少し寂しくて。
父がわたしの姿に、母の面影を見出だしてくれたのならば。
もしかすると、が近いのかもしれない何て思ってしまう瞬間がある。

何事も見た目から、と世間は言うが、父の明日の弁当のためだけに深夜まで料理本と格闘する母親の、母としての姿勢を見よう見まねで真似できるものだとは、料理のそれもしかり、わたしには到底思えない。

私が持っている道はとても狭い、私が歩いているところは近道でも遠回りでもない。
私が歩いているところは、他の誰かが歩いていたところなのかわたしはまだ知らない、知らないけどこの道を選んだ。道はわたしに選ばれて道となったのかもしれない。

人、一人通るのがギリギリなくらいの道だから、わたしは決して誰かとすれ違うことはできない。人と人との距離が広がらないように、追い付けるように、見えなくなる前に必死に、前方にいるかもしれないその人を追うだけ。わたしはすっかり、どこを歩いているのか忘れてしまう。

隙間の道を作る建物は、高い高い壁なのか、近くの人の笑い声すら聞こえない。でもわたしはどこかであたたかさをしっかりと感じ取っている。

頼りになるのは、しっかりからはほど遠い不確かなあたたかさだけ。
わたしは後ろを見てどれくらい自分が進んでいるかを確認してしまいそうになる。
それでもはっきりと、朝がやって来て、やがて昼になり、夜を追いかけて星が次第に散らばっていくのを脳に焼き付けながら経過を確認する。

わたしが歩く速度とは違う一定のペースを保ち続けている、これもまたあたたかさといいたい。

こどもと鉄の塊笑顔

今思えば、幼稚園の頃が一番幸せだったのかもしれない。

私の通っていた幼稚園は先日潰れてしまった。

ある日ポストの中に、来年度からの募集は停止とだけが書かれたシンプルな手紙が入っていた。わたしは、その、無駄のないシンプルな内容を舐めるように読むわけでもなく、適当に手紙に視線を向けただけで内容を理解できてしまうような代物をすぐにゴミ箱に捨てた。

そのあと、大学から帰る途中気になって元幼稚園に足を運んでみた。誰もいなくなった、狭い土地には大きなアスレチックと小さな建物、その隙間から殺風景な教室が見える。子供たちのいないアスレチックは何とも不気味な物であった。もうアスレチックは遊ぶための場所ではなくなっていた。狭い土地にあるのは、アスレチックではなく不思議な形をした、ただの古びた鉄の塊になっていた。

 

映画『箪笥』を思い出した

感想 映画

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人が一生かかって背負っていくべき、目を向けていくべき苦痛を、さらりと描写した映画が好きなので、久々に『箪笥』をみたいと思った。

『箪笥』は韓国の古典である『薔花紅連伝』をもとに作られた作品らしい……(読んだことがないので映画がどれくらい原作に寄り添っているのかわからない)角川ホラー文庫から出ている『姉妹』とマンガ版も一応読んだ。(あんまり内容を覚えてない)
 
あと、フライヤーが結構有名な気がする。パロディで日本の映画作品や洋画やら色々出てくる。わたしも『箪笥』に触れるきっかけとなったのは、このフライヤーだった。
手前二人が、姉妹の女の子達で、左側に座っているぐったりした子が妹のスヨン。右に座る、儚げながらも、しっかりした印象を持たせる子が姉のスミだ。
家族写真を思わせる配置で、血液の付着した真っ白なワンピース、手を繋いでいる姉妹、不自然なほどの完璧な笑顔を浮かべる母親と、気難しそうな雰囲気を持つ父親
パッと見で、情報量が多くて、キャラクター同士の繋がりや個性がかなりはっきりとわかる良いデザインだと思った。
 
作品のなかで一番演技がうまかったのは母親のウンジュ。顔立ちも、いかにもプライドの高そうな母親で、神経質に姉妹たちに接している。
 
ラストシーンの種明かし部分が、若干雑、というかあからさますぎでは……とおもうところあるが、衣装や美術がとにかく可愛らしく、メインテーマが印象的なワルツ調の曲なので何度も見返したくなる。
(サウンドトラックにはメインテーマのボーカル版も入っていました。歌詞はもちろん、韓国語ですが英訳も隣に表記されていたので、内容理解には問題ないと思われます。)
撮影現場となった館は実際に幽霊の目撃情報が何度もあるような場所だそう。しかし、特典映像のインタビューでは、そういった現象は一切起きなかったとか。
 
以下ネタバレを含む感想 続きを読む

『帰ってきたヒトラー』感想

感想 映画

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映画の感想書くの久しぶりすぎて、というのも自分の無知が赤裸々に綴られているような気がして不安になってしまい、書くのをやめてしまっていたのですが、半身浴ナウで暇なので書いてみました。自分がのぼせない程度の分量なので、片手間に読めると思います。

まず、よい映画です。
ヒトラーがどういうことをしたか、という曖昧な知識があれば楽しめると思います。たぶん、悪いことをしたっていうイメージが強い歴史上の人物、って考えたときにヒトラーがパッと出てくる人は案外多いからたまたまヒトラーがテーマで描かれている気がしなくもなくもない……

それゆえか、風刺している事についてはどの国にも当てはまることなので(ドイツだけに限った話ではないと思うし)おすすめしたい所存。

ザックリあらすじを言うと、なぜか突然現代にワープしたヒトラーが現代のドイツで「ドイツの何が問題か」と実際にインタビューしていったり(このやり取りはどうやら台本なしなのでリアリティがあり面白い、怖い)、注目を集めたりお笑い番組に出て人気を獲得していく…内容です。

テレビ会社(だったかな…)に勤める主人公も、ヒトラーはとりあえず悪い人!とだけのイメージで、本物のヒトラーとは知らずに、タブーを敢えて触れていく面白芸人として売り出していくんですが、この時点でギャグコメディとして描かれていても、かなり恐怖を感じるべきだったのだと終わった時点で気付きました。
面白い、斬新、最初はみんなそう思うのかもしれないけれど、そうやってしてどこかで扇動されているのかもしれない、危機感を持っていくべきなのでは。そう主張しているようにも捉えることが出来ます。特に、インタビューのやり取りがあったのでこの点がとくに面白く感じたのかも。

ヒトラーが残した功績(アウトバーンとか失業者減らした事くらいしか知らないのだが、これがヤバイのだが)や、思想、歴史などの内容を取り扱っているより、選んでしまった国民への風刺がメインだと思います。

オチについては実際に見て、感想を持ってみてください。面白かった、なんて言うのは本来間違ってるのかも知れませんが。主人公はたまたま現代人で、ヒトラーが過去の人物だったからこの話はこうなったわけで、ヒトラーが過去の人物じゃなかったら……?主人公はどういう対応をしたのか、考えてみて下さい。

酩酊

こないだ、一年ぶりくらいに集いに参加してきた~󾭺

とにかく、主催者の一人を除いて、全員知らない人だったし、ワサワサひとがいっぱいいた。

1つのイベントに対する目標とかがない、人と交流する事を目的とした状態で、ひとが集まってるのを久しぶりに見た気がする。
やっぱり飲み会とかは、人脈作りとか、会社のためとか仕事もらうためとかそういう目的があるし、純粋な楽しみだけでの集まりっていうのは今時なかなかないと思う。

役職や立場を意識しながら会話すると話すことも毎回大して変化無いし、結果「よおしがんばるぞお~(しかし実際は女にベタベタ男にベタベタついでに婚活ドロドロ人間関係地獄)」しかならないのに、苦すぎて不味いビール飲みながら「んッおいしっッッ」て自然と周りに合わせて嘘つくようになって、本当に美味しく感じるから、不思議だ。

ビールに慣れる頃にもしかしたら対人関係もいまよりずっと上手になるのかもしれない。アルコールで、ぼやけてて曖昧になるし。でも、苦汁を飲む事には変わり無いんだろうけど~

てか酔ォたw

グレートであるための幾つかの愚かさ

感想 映画

だいぶ前に葬った記事を再掲。

 

物凄い今更『グレートギャッツビー(華麗なるギャツビー)』のディカプリオ版をみる機会があって見たんだけどあれはあれで、下品で過剰でとても良かった…

デイジーは文字通り美しいおバカさんだったしギャツビーはディカプリオだと育ちの悪いイタリアの小僧という感じで、ロバートレッドフォードの時とかなり真逆だけど上品さ全部抜いて当時あったであろうジャズの新鮮さとかにも重きが置かれててわたし的にはすごく好きだった~でもロバートレッドフォードかっこいいから初期のが好きかもと思いつつどっちもブルーレイとDVDそれぞれ買ってしまった…


『グレートギャッツビー』は過去は取り返しがつかないし、華やかさと儚さが描かれててとても好きな作品なのでオススメです。デイジーは前へ前へ、過去に押し戻されることなく無情で我が儘で、一時の快楽を現実逃避として認識していて、この点、非常に女の子として正しいあり方で生きてると思います。一方でギャツビーは過去をやり直そうとして、デイジーとの関係を現実逃避ではなく現実にしようと必死になります。
村上春樹の『ノルウェイの森』も同じようなテーマで書かれていて、読み比べるといろいろと発見があったり楽しい。


大学生もいよいよ終わりに近づいて、最近は色んな人と疎遠になってしまったので、ようやくフィッツジェラルドの言葉の重みを実感してきました。おしまい。