冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

母の日

先日は母の日だったので、初給料で祖母にプレゼントを贈るついでに母の日のプレゼントを購入した。生憎、カーネーションは、学校帰りの学生たちが行列をなしていて買うことができなかった。私が買ったのは紅茶。本当についでくらいの品で、紅茶一パックとクッキー一枚が大袈裟に包装された500円以下のしょぼいものだ。けれど、母はそれを受けとると、ぱあっと顔色を明るくして喜んだ。「これはずっととっておいた方がいいのかしら!」と、新しいおもちゃを与えられた子供のように喜んでいた。その様子を見て、本当に喜んでいるということがわかると、心から申し訳なく思い、そして罪悪感が生じた。

ここまでわたしは母親を放置し続けてしまい、母になにもしてあげられないでいたんだ、と。本当に、こんな些細でちっぽけなもので喜んでしまうくらい、私は母親に溝を作らせていたんだと気付かされた。

そのあと、申し訳なさすぎて部屋でひとり、泣いてしまった。わたしは母親に「ありがとう」と言われても「どういたしまして」と返事をしてあげられるほど素直になれない、母と同じような溝を持っていた。

リビングに置いてある、綺麗なお菓子の缶の中に、紅茶のパッケージのビニール袋が丁寧に保管されていた。中身のない、ただの破れたビニール袋なのに大袈裟だ。バカじゃないかと思った。クッキーも同様に割れないよう、きちんと保管されていた。あのまま腐ってしまうんだろうなと思った。

明日の天気あめ

信用していない。知っている。知っている、大体わかる、明日、明後日の天気が風や空気中の匂いに含まれる我々がそれを感じ取れるようなくらい簡単なことであるからだ。馬鹿だと思う、インターネットに毒され過ぎで言語だけで取り繕えると思ったのかもしれないけれど、人間自体はそこまで出来損ないではない。どんなに言葉が決まりきった形におさめられても、打ち込まれるフォントが統一されていても、そこに含まれる情熱や狂気はきちんと機能している。阿呆、阿呆。お前が嘘をついていることくらいすぐにわかるんだよ。空気を読めばかやろう。

問題は私だよ、ばかやろう。

理路整然として狂いのない短文に、意味を求めてしまうおろかものだよ。ログを見返して、私が求めている感情が、丁寧さが、誠実さが、一貫した優しさが、あるんじゃないかって遡って、探してしまう私が愚かだよ。

もう会話してない、ほとんど体裁を保たれた我々の会話、呼吸を止めて見返すログに空気もクソもなにもない。

4/21

パニック発作が辛い。

電車に乗ると針の山に座らせられてるみたいだ。

少しでも動くと刺さったものが傷口を広げて、じわじわとそれが痛みを広げるのかもしれない。焦りと、不安と恐怖とを持って、助けて!(助けてくれない)助けて!(助からない)早く!早く!(なぜ早くしないといけないのかわからないのに、そう思う)と叫びたくなる。

今日も電車が揺れる。

ガタンガタン!

何人もの人がこの音に魅力を感じて吸い込まれていってしまった。

レールは血液と臓物の味を知っている。

電車が走る。

ガタン、ガタン。

今日も君をのせて、目的地まで、きちんと届けてくれる。

ガタンガタン。

いつの間にこんなにも魅了されている。

4/12

人はもう物語を持っていないかもしれない。

書物は十分に存在している、新しい感情なんてどこにもないはずだ。

そんなに悩まなくてもいいはずなのに。

図書館の中に、答えが積み上がっているはずだ。

人がもう必要としてない答えが、埃を被って存在している。

3/21深夜のきみ

大丈夫です。大丈夫じゃないかもしれませんが、わたしはちゃんと生きてます。

そしてこれからも、ちゃんと、大丈夫じゃないけど生きていくと思います。

大丈夫じゃないっていうのは、勿論、自分のせいで大丈夫じゃないだけなので、人からすると、これは大変ぜいたくな悩みであると思われます。

でも、わたしは泣きそうになってしまう深夜に、素敵なメールをいただけるくらいなので、きっとこれからも、すぐ、大丈夫になることができるでしょう。

そしてまたすぐに、落ち込んで、大丈夫じゃなくなって、また落ち着いて……そうこうしているうちにすぐおばあちゃんになっていると思います。何とかなります、ということです。

去年の日記

小中高の成績通知のときに100000000回くらい言われた『キョロキョロしている』『話を真面目に聞いていない』という言葉にありえんくらい傷付いてるしそんなつもりないのに誤解を招く行動を100000000回くらい取ってるらしい。

 
今でも本当によく覚えているのが体育館でダンスの練習していたとき。
 
練習中に突然音楽が止まったかと思えば一人の女の子がわたしに向かって真っ直ぐに歩いてきて、「お前が真面目にやらないから周りが迷惑してるんだよ、真面目にやれよ」と言って、わたしは真剣にやっていたつもりなのにただ、「ごめんなさい。ちゃんとやります」しか言えなかった。
30人以上のクラスの知り合いがいるなかで怒られて、それからダンスも嫌いになった。
 
今思い出しても、わたしはそのときなにかミスをしていたとは思えないし、絶対に、クラスで出来損ないの同級生を指導してリーダーシップを取っているつもりの雰囲気を出すための道具にされていたとしか思えない。
 
 
もう21年も生きているがわたしは大体どの集団にもいる、出来損ないのノロマの優秀な人間を引き立てるための役を続けている。
あのとき私を叩いた人も見事、遭遇したノロマに罵詈雑言を吐くことによって素晴らしいリーダーシップを発揮し、見事推薦を勝ち取った。
 
一方でわたしは、引き立て役としてズルズルと生きて今も何とかグズグズしながら社会にしがみついている。引き立て役もここまで続けた甲斐があったと思う反面、続けた果てにあるのが松○病院とかでないことを祈っている。

目が覚めると、小さな小屋にいた。電灯が見当たらないはずたったのに、部屋とその周辺は薄暗くなく、RPGのマップのように明るさが均等にはっきりしていた。地面は裸のコンクリが見え隠れしながらも、ふわふわのわらがぎっしり敷き詰めてあり、移動するのが若干困難だった。

小屋のロフト部分に老人がいて、わたしに向かって包丁を向けていて、フーッフーッと威嚇し、興奮しながら殺気立っていた。真っ直ぐに包丁を向けた状態で、老人が階段をズタズタと足音を立てながら駆け下りてくる。

なぜか足元にあったテディベアのぬいぐるみを老人に向かって投げつけると、とつぜん、老人が恍惚としてアアッと嬌声をあげて、それを愛でたり、それに話しかけ始めた。同じく足元に落ちていた(配置されていた?)注射器のパーツを拾って組み立てて、謎の黄色い液体を入れて、老人が夢中になっている隙に刺した。しばらくすると、静かになった。

 

起床、5:30

 

同じ夢を見る

 

起床、7:00

 

同じ夢を見る

 

起床、9:00

 

同じ夢を見る

 

起床、10:30