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冷静と失禁のあいだ

アンハッピーセットのオマケは幸せな夢を孕むか

優しさとは甘い砂糖か毒入りか

 

大量に安定剤飲んで目が覚めました。久々に明晰夢です。悪夢。

死んでませんでした、残念ながら。人間の体というのは結構丈夫にできているんですね~!!もうアタマガンガン唸ってます。獣の如く。

超頭痛いですなう

 

お腹を刺されたり、殴ったりすると体は痛い、と感じますよね。当然、あなたは痛い痛い言うて殴ったりしたチョー本人に訴えると思います。殴られた痛みいうものは誰にだってわかります。物理的攻撃によって与えられる痛みの強さはほとんど平等だと思います。受容するのは体ですから。

 

では、心はどうでしょうか。片思いなんていい例じゃないですか?辛いですよね、痛いですよね、心。自分はこんなに好きなのに、『相手とは同じ気持ちにはなれない』『自分だけが思っている』藤田麻衣子の歌詞にもよくあります。ありふれた心の痛みの例です。

そうです、心においては同じ痛みを分かち合えないのです。

私は人に目線と声色でひどく傷つけられますが、ほかの人はそうじゃないかもしれません。たかが目線、声色。本人の口からは語られていないから大丈夫、と思うかもしれません。

人によって感じ方は違うのです。もしかしたら自分の行動が針の雨になってその人に集中ゲリラ豪雨攻撃しているかなんて動作の受け手にしかわかりません。

あなたが話している最中、針の雨で血まみれになりながらも必死にあなたと会話を続けているのかもしれませんね。誰かが気付けたら、そっと傘を差しだすことができないこともないでしょう。よほど他人の気持ちがわかる人じゃないとそんな行為無理です、つまり神様みたいな人ですね~いないでしょうが

 

とりあえず、あなたの苦しみや痛みも、永遠に人からは理解されませんし理解したくても出来ないようにできています。 

では傷つけない方法とは何か。どうしたら他人を傷つけずに済むのか。

ああ言えばこう言うわたしも結構悩みます。

じゃあ『優しい』は人を傷つけないのか。

あ、ここでは各々の価値観からはかったやさしさの基準云々は無しです。看守が気分がよかったから二食のごはんを三食に、3回の体罰を2回にとかそういうのは無しです。 

 

小さい頃きっとあなたもだれかに、「人には優しくしなさい」なんて言われた経験あるんじゃないでしょうか。大多数の人には「人には優しくしなきゃいけない」みたいな倫理観がインプットされてるのでは、と思うのです。

でも、もし、誰にでも優しくしているのなら、やめた方がいいと思うのです。

もちろん、他者には優しくすべきです。見ず知らずの他者には。

誰にも優しくするななんて言っておりません。優しくする対象は選ぶべきだと主張したいのです。

私は、やさしさとは責任のことだと思います。

誰に対してでも優しい人にとって、やさしさとは当然の振る舞いと気遣いですが、ほかの人にとってはそれが様々な感情をもって受け取ることができる振る舞いなのです。

好意だったり、期待だったり。勘違いしてしまうのです。

そんなつもりがなくても、無責任にやさしさを振りまいた結果おとぎ話なんかでも見られますよね。好意と期待が交差してぐちゃぐちゃになって。勘違いした人は苦しみます。そして迎えるのは最悪の結末。あ、最近だと『ファタモルガーナの館』でそんな描写がありましたね。

とても個人的な意見になってしまうのですが、優しくする相手は選ぶべきです。優しくした責任は本来重くのしかかってくるべきものです。

相手がやさしさを好意や期待とみなした瞬間、あなたは誤解だと説きます。

あなたは特別じゃなくて、誰にでも私はこのように接してるんだ、と。

相手はその瞬間、何を感じると思いますか?

 

裏切り、です。