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冷静と失禁のあいだ

アンハッピーセットのオマケは幸せな夢を孕むか

スマホが捨てた視界

 

スマートフォン片手に人々は雑踏の中に消えていく。

電車の中でも、スマートフォンに夢中の学生や社会人を見かけないときは無いに等しい。情報は一秒、二秒ごとに人々によって更新され、世界は情報を絶えず私たちに押し付けてくる。

画面の向こうの誰かに向かって笑顔を送っている学生の姿は虚しさを煽る。Twitterなんかでみかけるばかばかしいタイプ別の人間一覧表なんて見ても、あなたはあなたでわたしはわたしなのだ。逆に、そんな枠にあっさりと収められてしまって憤りもなにも感じないのだろうか。それともテンプレートになることを望んでいるのだろうか。いちいち情報に感化されすぎではないだろうか。確かにまとめやネイバーは面白いが、それが中心になりすぎではなかろうか。たまには頭を使えよ、と虚空に向かって叫んでも全く意味がない。

なんて、さみしい光景だろう。見慣れつつあることにより悲しみや絶望感を覚える。今いる場所の景色や空気、すべてを捨てて。向き合っているものが違うのではないだろうか。

 

今夜もTwitterのタイムラインはきっと騒がしい。土日という安らかな休息の中で人々はTwitterに向かってこの一週間ためまくった愚痴を吐いていく。それにまた誰かか同調して会話は膨らんでいくのだ。

そんな生活に少し疲れた。あなたは疲れないのだろうか?

疲れることすら忘れてしまっているのではないだろうか?

 

携帯やスマホを初めて手に取った時、あまりの軽さに驚いた。

こんなに軽いのにたくさんの情報が詰まっている。こんなに軽い物の中で私たちはコミュニケーションをしていくのだという恐怖感もあった。

すごく軽くて、凄く重い。と、私は感じた。

 

小さな、片手ほどの世界を人々が持ち歩くようになってから、人々は一人で考える時間を失いつつある。常に他者と繋がり、雁字搦めにされて今日もスマホ片手にどこかへと消える。

スマホや携帯による他者の近さという感覚は、嘗ての他者存在の意識の仕方を消し去り、新しく人との付き合い方の定義を作りたてた。その変化についていけない私が部屋の隅っこにこうして携帯片手に他者存在の在り方と自分の立ち位置について頭を抱えている。

人と人は、あまりにも近すぎた。

誰も人の変化になんか気づかないだろう。誰も景色の変化になんかに眼をやらないだろう。みんなは画面の向こうの誰かに夢中だから。人の存在と気持ちにどんどん疎くなる。不器用になっていることも、もう忘れてしまっているだろう。人はすでに人との付き合い方を忘れ始めている。

 

こんなにつかれているのにマイスリーは私を寝かせてくれない。それでも承認欲求は文章を書けと私の背中を押す。

自分の後ろの机にちょこんとスマホを置く。やはり小さい。バカみたいだ。なんだかすべてが馬鹿らしくなった気持ちになった。

世界に置いて行かれたわたしは、世界に背を向けて今日も就寝する。