冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

人がいるから人がいるけど人になれない人たち

 

世の中クソだと思う。クソの反対は良いだけど良いってぶっちゃけ「(自分にとって都合が)良い」だとしか思えない。(例えば「良い人」なんてとくにソレ)

何がクソってまず人間。宮崎駿超監督様様フリカケ大先生もおっしゃる通り人間がいない方がこの世界はずっと美しいままでいられる、正にこれだ。勿論小説にあるように、人間が織り成す人生というC級ショートドラマは人よっちゃあ見ものである。

 

昨日かいた記事がクソ気持ち悪すぎて朝起きて書いたことを思い出しソッコーで消したまでであるが、キモかろうがなんだろうが私は今日も身勝手な自己承認欲求を満たすためにこうして文章を書くしかできない。そしていつか抹消する。

 

そんな超身勝手なわたしは超身勝手に究極の鬱状態にある。

鬱状態のつらさは基本的に誰にもわかってもらえない。というか、個人差ありすぎて私にも他人の鬱の度合いというかレベルが全く理解できない。

とりあえず面白がっていただいている同じ心理学専攻の何人かの友人たちと人の気持ちが理解できない可哀想な人たちのために私の鬱状態がどういうものか、また、どういう基準で鬱になるのかについて徒然なるままに書いていきたい日暮らし。

 

三大ツライもの

①理解されることが永遠にない

②被害妄想

③誰も信用できない

 

これに限ると思われる。考えればもっと出てくるだろうが筆をおきたい一心で書いているので勘弁していただこう。

 

①は②③を理解されない苦しみのことです。説明不要ですね。

我ながらなんてひどい説明だろうか。理解されないのも当然である。まあいいや

 

②被害妄想 これはものすごく酷い。最初の記事に書いたと思うのですが、人の行動がマバタキレベルで情報として私の中に取り込まれます。

小中学生の頃なんかわけもなく、今日はうちに泥棒が入る!という謎の恐怖が頭をおおってベッドの隣にナイフを置いて寝てたことがあります。

妄想とかキモヲタもするああいうやつだろ~?とか思うクソ輩もいらっしゃると思いますがそういう奴には一喝したい。もうそんなレベルじゃないのです。「確実に起きる」という未来を見てしまったかのような、宇宙と未来と交信してデータを受け取っているような気持ちになるのです。預言者になったかのような絶望感が味わえます。

明日友達に殺されるとか、泥棒が入るとか、警察に家族全員補導される、だれかに呪いをかけられているとか本気で考えるのです。そして、酷いと誰かが私をいつも監視しているという気にさえなります。

 

③信用したくても出来ない

これが本当の呪いです。どんなに他者を信用したいという気持ちがあっても、それがかなわない。この間にあるギャップに非常に苦しみます。周りからは、信用されてないだのなんで信じてくれないなど言われます。いや、信用したいわヴォケ!!!!!!!というのが正直な気持ちです本当です。

こういう気持ちは何に例えるべきなのでしょうか。共依存でしょうか。ダメだとわかっていてもズルズルと続けてしまうような関係。そうでなければならないという強迫観念を生じさせる事象。説明し難いですが、あなたにとって一番譲れないものを想像していただければ良いのです。人からは理解されない謎の拘り。そんな感じなのでしょうか。ひどい悪癖も似てますかね。

とにかく、どうしても信じるという思考に至れないのです。道が工事中の道路は向こう側が見えていても走れないでしょう?それと同じなのです。わかっていてもできないんです。非常に言い訳がましいですが。いいわけか!

やりたくてもやる気になれないって、人をかなり追い詰めますよ。経験してみてくださいね。いい経験になります、きっと。

 

ですます調とである調が混じったがこういった感じである。

 

三人寄れば文殊の知恵なんて諺が存在しますが三人いたらお互いに疑心暗鬼を生じたり一人はきっとメンヘラになっちまうと思うのです。

 

人がいる限り、人は人らしく豊かであれますが同時に間違った方向へと花が咲いちゃう人たちもいるのです。お花は日の光の方向に咲きます。しかし、「日の光」は人によって異なります。結局、誰も「日の光」の方向なんて向くことが出来ないんじゃないでしょうか。