冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

奇人変人も人というありふれた存在

最近、というのは厳密には異なるが、私のことを変と言う人がやたらと多いので一言物申したい。

まず、何を持ってして変人奇人であると定義しているのか。平均より上だったり下だったりすると変人奇人なのだろうか。ならばもちろん学力は平均よりはるかに下回り地中海を這いずり回る一首の生物のような私の頭の出来は最悪といっても過言ではない。よって学力においては変と定義されても文句を言う口は校内模試の最下位から30番という数学と英語の成績を突き出されれば開けやしない。(ちなみに私のちっぽけなプライドのためにいうが今はそんな悲惨ではない(英語は))中学生当時はAという成績はツチノコ並の珍しさを持っていた。

人様の多種多様であるはずの価値観のその全てから貴様は変であると言われてしまうと価値観の多種多様性も疑ってしまうまでに変と言う言葉に一種の疑問をツチノコ以外の部分の私は抱かざるを得ない。

どこが変なのよと聞くとわかんないという非常に曖昧な回答を多数頂く。まあそもそも人をそこまで見極める必要性はないと思うが。

とにかく、世の中で一般的に売られている普通の服を着て日本では普通である日本語を話し、人とも最低限のコミュニケーションはとっているはずであるのにそれでも尚、変と定義付けられる。
そんな私にどうか世の中の普遍を教えて欲しい、という普遍的な文章かつ普遍的な質問をしたところでいかに自分が普通であるかをアピールし今回はここいらで筆を置きたい。
いやぁ、なんだかそんなことを投げ掛けてしまうと、つまらない、ありふれたものが普通に見えてきた。まあそうなのだろうが。でもわたしは普通より下回るの変であるとおもう。


というわけで本日のブログが非常になんの共感もできない様に綴ったのは以上の理由からである。(人のせいにするな)



まあだからといって普段のが面白いとかそういうのじゃないんだけどねーーーー!!!!!(泣)