冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

ずぶ濡れだけど傘がない行くあてすらも

創造が尽きたことはない。
幸福な事に、わたしの頭の中でアイデアは止まない雨のように降り続けている。
言いたいこと、感じたこと、小説、商品、本当にいろいろ降ってくるのだ。

小説なんかとくにそうだ。
高校時代、文芸部に所属したことがあった。小説を書くのは、というか、話を考えるのは本当に大好きであったので文芸部に入れたことは本当に嬉しかった。文章力は語彙力のなさが目立ち、全く無いに等しかったが、考える事だけは絶えず私のもとへとやってくる。しかし、同時にそこで生まれるのが、言いたいことを言えない、表現しきれない虚しさと絶望感。表現力のなさは私の能力のなさを物語の中で物語っていた。文章に顕著に現れていたのだった。

だが、ストーリーは夢の中という映画館で上映され続けた。明晰夢のせいで、わたしは何回もストーリーの中でモブ役でブチ殺され、大抵サイレントヒルこと静丘にぶっ飛ばされる。サイレントヒルバイオハザードの化け物たちが、おい、マジ表現力どうにかした方がいいから手伝ってやるよとばかりに猛烈な痛みと血液の臭い、食べ物の味、追いかけられる恐怖を与えてくる。まあこんなものを毎日見ていたら頭がおかしくなるのも当然であることよ。
わたしは暁美ほむらのように時間をめぐり続けて面白いストーリーとエピソードをひたすら拾っていく。そしてチンケな文章力を宿し、レベルアップというRPG概念を忘れた右手でペンを持ちひたすら文章に書き起こす。
小説にかきなおす、というのが一番しっくりくる表現だ。先程も述べた通り、映画のようにカメラの向きやセリフや役者や衣装、背景、色合い、音楽、すべてが指定されほぼ完璧な状態。

ほぼ、と言ったのには理由があり、セリフは完璧でない点があるからである。セリフを考えるのは特に苦手で、場つなぎができないのだ。
なので、ほぼ毎日のように浮かんでくるストーリーはこの、場つなぎのセリフが浮かばないために破棄されていく。そしてその内の、いくつかを文芸部の原稿に提出していた。

今は文芸部や文章を書く場所に所属していないので、書く機会はこのイタイ吐き出しゲボブログ以外にバケツは存在しない。なんとか適切な場所に吐いて承認欲求を満たしたいものであるが、適切な場所は私には遠すぎた。東京から大阪なみである。

新幹線という、便利なものにのれるチケット、いわば、機会を探すためにもしばらくこのブログを続けたい所存なのであった。