冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

眠りの落とし穴に落としてくれ

思い返せば、睡眠は小さい頃から苦手な行為の一つであった。
物心ついた頃から最も苦手な行為であった睡眠という行為。なぜ、夜になると両親はあんなにあっさりと眠れるのだろうか。幼稚園の頃から電気を消したあと、何時間も必死に目を瞑ったが中々睡眠に入ることができず苦労した。目を瞑ると視界は暗闇でありながらも人の形をした何かを映し出し、再生する。化物のような何かがずっとこちらを見ている、そんな感覚が恐怖を与え、より睡眠を拒否し眠れない日々が続いた。それは今でも変わらない。
消灯後、物音は人の寝息しかきこえない。私の耳は空気の音や窓の外の風の音、虫の音にひどく敏感に反応を示していた。目を瞑ったら誰かがこちらをじっと見つめ、耳は小さな物音を拾っていく。こんな状況でどうして人は眠れるのだろうか。なぜ周りの人達はいとも簡単に睡眠に落ちるのにわたしはその普通の行為が当たり前のようにできずに苦労しなければなら無いのか。幼いわたしは他人とのギャップにすでにコンプレックスを抱いていた。
なんとか眠りについて朝を迎えても、苦しみは続く。幼稚園の頃には必ずある、昼寝の時間である。
勿論、一番嫌いな時間であった。部屋を締切り、暗くし、会話や自然音を拒絶する沈黙の時間。昼寝の時間に寝れた記憶は全くない。体が発する熱を布団が吸収し、熱がこもり、汗をかく。何時間も苦痛の時を過ごさなければならない。睡眠が苦手な私には昼寝の時間というルールは正に拷問のようなものであった。

環境適応能力が極端に低いせいか、寝床が変わると家の中で寝る場所が変わるだけでも十分睡眠妨害の要因となっていた。そんな私がキャンプに参加などすることになり、睡眠に対し想像を絶する恐怖が生じた。
外泊すると必ずといっていいほど朝まで眠れないのだ。消灯、他人の寝息、暑い布団、知らない枕の感触、物音、全てに苦しまされた。あまりの眠れなさに人を起こすこともあった。人が起きていると安心が得られる。人が起きている中で自分が寝るのはなぜか気持ちが楽なのだ。まあ当然のごとく起こすとかなり嫌がられるが。

寝れない、という気持ちは常に私を悩ませる。こうして今も寝れないという恐怖感に押されて文章を書く他やる気も出ずに布団でごろごろとするしかない。
電気を消すと、物音や感覚に敏感になるため、恐怖が生まれるのは今でも変わらない。
なぜ私が眠れなくなってしまったのか、どんなきっかけがあったのか、私は思い出すことができない。
ただ、漠然とした恐怖だけがいつも頭の片隅に存在しているのだ。