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冷静と失禁のあいだ

アンハッピーセットのオマケは幸せな夢を孕むか

正しさだけは君のもの

あっという間に年が明けてしまっていた。年月の感覚は年を取るにつれて曖昧になっていく気がしてならない。

わたしはメンヘラ人間だから承認欲求が満たされないとやっていけない、ゆえにTwitterでの「ファボってくれた人に一言」系のタグに非常に弱い。あーメンヘラくさいなあと思いつつも承認欲求を求めてしまう甘えはファボ行為を促してしまう。年明け早々やはり自分はメンヘラなのだと実感してしまった。

こういった類のタグは最近は頻繁に見かけるようになったなあ。周りが評価してくれている自分を本当の自分だと思いこみそうになって超怖い。周りに、お前はこうだと言われたり、なんとか診断とかの結果をみると、ごくごく一般的に誰にでも言えるであろう性格や習性であるのにも関わらずにあたっていると勘違いしてしまったり。見当違いのことが述べられていても、もしかして本当に自分はこうなのだろうかと疑ってしまったり。はたまた、あなたは天才、とか隠れた~という才能があるなんて書かれていると意味不明な安心感を得れる。その根拠のない天才やら芸術の才能やらの診断結果に安心感を求めてしまったら終わりな気がしてならないから気を付けたいところである。まあでもそういう人多い気がする。社会的に評価されていないと隠れた才能があろうが天才だろうがただの凡人に過ぎないというのに、とか言ってしまうと貴様は社会的に評価されることに拘りすぎた!とか言われちゃいそう。

でもごみ箱にダイアモンドがブチ込まれててもごみ箱の中に入っている限りごみとして処理されちゃうんですよ、現実。

 

日々こうやってどうでもいいことに頭抱えられるのはクソヒマだからだと思う。

ぶっちゃけ自分が色々なコミュニティに属しまくって日々忙しく生活していればメンヘラであることも忘れることができると思う。

忙しいは幸福になれる手段の中で最も手っ取り早い方法だ。言ってしまえば、何も考えなきゃいい。考えるから不幸になる。考えることなんてしないほうが幸せだ。どんな物事や状況も考えるうちに、なぜ、どうして、という疑問が生まれる。そこから先を考えるとキリがなくて鬱になる。勿論、よく考える人は俗にいう深さなるものが得られる。

だが最も楽な生き方をするなら考えないで日々を忙しく過ごすことだ。なぜ、どうして、なんて自分に疑問を持ち始める落とし穴にはまってしまうと一気に今までの自分の行動に自信が持てなくなる。正しいのか、そうではないのか、善か悪かにまで至るとメンヘラという性質が君にやさしく手を差し伸べてくるだろう。

 

少なくとも『今』正しいと言える行動は、は何も考えない事だ。前を向き、足を進めることだけに集中していればいい。

間違っても、下を向いてどうして自分は地面の上に立っているのか、地面は地面なのかなんて考えないで。

間違いだと指摘するのは社会の役目、自分の役目は正しさを主張すること。それだけに尽きる。