冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

覚めない夢とは

ここのところヒマで死にそう。ほんとうにでなにもすることなくて笑えない。いや、する気にもなれないんだけどね。文章書かないと脳みそ腐りそうで怖い!

 

遅い時間に起床し、毎日とくにやることもなく、外に出るわけでもなく、ベッドの中で小説を読んで一日を終えている。そんなことをしていると、勿論余計なことも考えてしまう。

 

窓の外の日差しがほんの少しだけ優しく感じる。出かけるときや、普段は日差しなんて気にしない。晴れは晴れであり、ただそれだけだ。日差しがどうだとか、よほど照っていない限り見向きもしない。だが、あまりにも暇を持て余しすぎたせいか、窓の外の日差しにも敏感に反応してしまうような日々が続いている。

 

雪を解かす日差しと、音が漏れない程度に配慮してあけられた窓からは部屋に新鮮な空気を持ち込んでくれる冬の風が部屋を旋回する中で響いているビルエヴァンズの軽快なピアノタッチ。これ以上の居心地の良さはなかなかないと思う。時折聞こえる小学生の声や、不器用な指先で奏でられるリコーダー、子供たちの保護者達の会話も耳を澄ますと面白く感じる。そんなどうでもいい会話に平和を感じることができる。

 

こんな小さなことでも幸せや平和を感じることができるのに、我儘な人間はさらなる欲求を抱く。ひとつ満たされれば、もっと、ときりなく望むのだ。もちろんそれは当然であり、自然なことだが。贅沢な悩みで頭をうめつくしていき、まるで世界で一番自分が不幸だとか幸せだとかについて考える。

 

私ももちろんくだらない悩みでメンヘラを解放させている。長い人生において、ほんの小さな出来事にしか過ぎないようなことで一日を無駄に過ごし、頭を抱えている。我ながら馬鹿だ。

それでも、悩んでいる間はこの世の終わりのような感覚がある。短いスパンで考え出された答えはいつでもネガティブでどうしようもないことだとわかっていながら、考えるのをやめようとしても絶えずわたしの脳内にカビのようにこびりつき繁殖し続け、やがて、それらが関係のない事柄にまで結びつこうと自我を持ち始めるほどの強さを持つ。思考は一定の方向に拘束され死を連想させたり、必ず悪夢をもたらす。

負の連鎖がもたらす悪夢の中でわたしは、ほとんど現実と変わりないような感覚を味わっている。最近は理想的な平和な夢を見ることが多い。もっと、この夢を見ていたい、できればずっとここにいたいと思うこともしばしばある。言い換えるならば理想的な幸せな悪夢だ。起床時間は午後一時。睡眠時間は頭を抱える問題が増えれば増えるほど異常なほどに長くなる。それでも必ず目を覚ます。眠い目をこするたびに、現実感が自身にもたらされていく。重いアタマと激しい耳鳴りと眩暈が目覚まし時計のようなもの。朝だと気付いたあとに、心地よい朝日と共に降り注ぐ現実感と自分が直面している問題がわたしに影を落とし、わたしの形作る。おはよう。いつか覚めるときまで、この一連の流れを毎日繰り返すのだ。ひどく心待ちにしている覚めるという瞬間を求めて堕落した生活の中で、もがくことしかできない屑人間は一次的起床を繰り返す。

夢から覚めて、現実で夢から覚めるかのような瞬間、それはきっと死。