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冷静と失禁のあいだ

アンハッピーセットのオマケは幸せな夢を孕むか

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寝ようとすると頭に大量に文字が出てきて、意味のない単語同士をくっつけて意味のない文章を作る。吐き出すためにやっぱりTwitterやブログは必要で、ツイッターだと少なすぎるからやっぱりブログのが大事と思った真夜中の2時に諦めたようにパソコンを開いて、バッテリーが切れるまでという期間を設けて文章を書いている私が布団の上にいる。今日も承認欲求は満たされない。親不知抜いてから脱鬱期間して躁状態が続いてていい感じである。ポジティブにネガティブできて私としても気持ちが楽だ。

 

食欲や性欲より承認欲求が満たされれば生きていけるのだが、そんな機会、考えてみればなかなかあるものではなくて。勿論、自分がそういう機会に出会える場所に所属していないせいもあるのだろうけれど。

私にとって承認欲求を満たすものは人からの好意と評価だけである。自分で自分のことは評価できないし認めることも出来ないのでその役割を全部外に押し付けている。

 

人から好かれたい。

みんな同じだと思う。人から嫌われたい人は恐らくいない。

私の性格は人から好かれないことを私は知っているが、私は私の性格をどれだけ努力して直そうとしても限界があるわけで、性格を抑制したときのストレスに耐えられないから人から好かれることを諦めて自分を出来るだけ解放している。そして、その結果として人に嫌われている。人から嫌われる私のことは好きじゃないけれど、人から好かれるように振る舞おうと意識する私は嫌いだ。意識しないで好かれることが理想であるが、人から好かれたいという意識がある限り、意識は下心であり下心をもって人に振る舞う自分は気持ちが悪いからできない。

ゆえに、ひとから嫌われることはあきらめざるを得ない現実を自分で自分に向かって突きつけているのだ。

 

人から評価されたい、認められたい

この2つがないと生きていけない。死ぬ。報酬がないと人はやる気になれないのと同じようなもので、バイトをして必死に働いて一銭も帰ってこないようなのと同じように思える。承認欲求はワ○ミ以上のブラックさを持っている。

しかし、今の自分は認められるべきなのかという疑問。

今の私は誰がどう見てもゴミ屑人間で、評価される対象にもなっていないことを理解している。わたしは屑な自分を認めてほしいとも思っていないし、たとえ認められても屑が周知の事実であるならばそれはバカにしている、つまり気休めの評価でしかないのだ。

ゆえに、今の私は認められるべきではない。

 

すべてが矛盾しているとわかっていてもそれを求めずにはいられない私がいるからバチが当たりまくるのか、最近は本当に悪いこと続きである。

私がすべて悪いことはわかっている。いや、なんでもかんでも、わかってるよ全部俺が悪いんだろ!?という投げやりな意味で言いたいのではなく。

自分の悪いところや癖をわかっていてもどうしようもできなくて、すぐに辛いという言葉に逃げる。不幸と言う言葉に寄り縋る。自ら不幸に縛られに行くのだ。

 

理論ではわかっているけど、本能が理解しようとしてくれない、どうしようもない頭の悪さに我ながら憐れみを覚える。

 

人はその状態をクズと呼ぶ。