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冷静と失禁のあいだ

アンハッピーセットのオマケは幸せな夢を孕むか

後ろの正面

あまりにも時間を持て余していたので20本ほど映画をみていた。

映画で描かれる人々は煌びやかで、現実とのギャップに打ちのめされる。

 

人としゃべれば喋るほど、お互いの悪いところばかりがハッキリと手に取るようにわかってしまう。長い年月がたてばたつほど、あからさまになってくる。

会話を交わせば、自分の悪いところが相手を通して鏡のように映し出される。自分の、できれば知りたくのない、部分を無理やり見せられることになるのだ。

相手の知りたくのない部分、悪いところも同じように見せられる。そこに敏感に反応し気付いてしまう自分に参る。相手が悪いのではなく、気付いてしまう私が悪いのだ。自分に振り回され、疲れる。

こんなことが一生続くのかと思うと発狂しそうだ。

人が苦手すぎる。

人が悪いのではなく、自分の中に映し出される人のありかたや姿に問題があるのだ。だから、私が私である限り、この状況は永遠に続く。

自分の好きな人たちを嫌いになりたくないという気持ちとは裏腹に、過敏である自身の感情があり、腹が立つ。私は私が嫌いだ。

まさに、生き地獄。

 

それでも、人と過ごす時間は大変に有難いもので一人でいるよりかは心が落ち着くと感じる自分もいる。

非常に身勝手なのだ。

誰かと時間を過ごしたくても、どうしても人を誘うことができない。

なぜなら、人を誘ってもその人を楽しませられる、良い時間を過ごせたと思わせる能力が自分にはないからだ。

大抵わたしとの会話は相手を傷つけてしまう。言った後に激しく後悔するが、また言ってしまう。すると、自然と人が離れていく。

当然の結果であっても、直すことができないのは、直す気がないからなのだろうか。だが、直したところで他人に薄っぺらい同情や気遣いや傷の舐め合いしか生まれないと思ってしまう。私自身、このどれもが許せない。されると傷つく。でもほかの人は、薄っぺらい同情を望んでいるのかもしれない。

なんだか全部がわからないし、考えがまとまらない。

考えるのすら疲れた。

こういう思考をするのは、もうやめたい。

しかし自分である限り無理なのだ。となると、あと何十年もこれが続くことになる。

わたしはまた、辛いという言葉と、ちゃちいトランキライザーに逃げる。

薬が全ての主導権を握っているなんて、情けない。自分の体であるのに、思考回路を薬に委ねてしまっている。自立とは程遠い存在だ。

弱い自分が憎くて、でもどんなに他人になりたくても、自分しかいないという絶望的な事実からは逃れられないのだ。