冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

目線は芝刈機の役目を果たしている

 

大学の講義室に入ると、だいたい前の方には意識の高い生徒、授業に集中したい生徒が席を埋めていくものだ。一人で座る者もいれば、集団もいる。

その一方で、後ろの方の席を陣取るのは大抵だらしのない生徒、という印象だった。

その日は、村上春樹の新作である『女のいない男たち』という本の発売日だったもので、というのは言い訳だがとりあえず読みたい本があると授業中に読む癖がついてしまい、私は『だらしのない集団』の一員となって授業を受けていた。

十分にノートを広げるスペースのない、狭苦しい長机に、教師の視線を遮らせるバリケードを荷物で作り、ハードカバーの一ページ目をそっと音を立てないように広げた。まるで反抗盛りの中学生みたいで、こういった行為をするたびに情けなさを覚えるが、どうもやめられなかった。完全に意地をはる子供だ。

 

発売したばかりなので本の感想や内容にについてはあえて触れないでおくが、良本だった。雰囲気がどことなくノルウェイっぽかったからかもしれない。だが、今の私にとってはちょっと悲しい本であった。恋愛こじらせメンヘラはデパスを片手にぜひ。気になる方は読んでみてください。短編集なので手に取りやすく、立ち読みで雰囲気をつかめると思います。(推し)

 

5ページほど読み進めたあたりで、教室がざわつき始めた。

本にしおりを挟み、一緒に講義を受けている友達と顔を見合わせ、肩を落としてため息をついた。

 

またか、と。

 

思えば、雑草に似ている。

授業中の会話は誰も求めていない代物であるはずなのに、どこからともなく「生え」てくるのだ。

初めのうちは気に留めないが、時間が立つと雑草は必ず、我々が望まなくても大きく成長する。雑草が伸び切るとさすがに目がつくので、白を切らした教師が一喝、その途端に雑草は切り落とされる。一時は元の平地へと戻るが、そのうちまたじわじわと生えてくるのだ。

これこそもはや『雑草魂』と言ってしまってもいいんじゃあないだろうか。

 

教師が授業で「振り返って、確かめることも大事だ」と言った。

もちろん、ここでの意味は人生を振り返ることであった。子供の意地を持ったわたしは、ふざけてバカみたいに実際に振り返ってみた。二、三秒ほど後ろの席の人たちが視界に入る。体をねじらせ、後ろの席を見ている私と同じように、いや、それ以上の露骨さで完全に体全体をホワイトボードに背を向けるようにして会話をしている女子生徒がいた。笑っていた。そんなにこの授業に笑える点でもあるのだろうか。無邪気な笑顔が目についた。沈黙を保つべきときに、黙っていられずおかまいなしに喋る子供の様だった。彼女の栗色の髪の毛が、くるんくるんと柔らかくウェーブを描き、談笑するたびに揺れていた。

ここは映画館より行儀が悪い空間なんだな、とわたしは思った。教師の講義を動画としている時点で授業に参加する意思がないことがわかってしまうのだが、彼女らにとっては教師の講義は、ポップコーンや会話に夢中になってしまうくらいのB級映画だったのだろう。

もう一度一瞥したときは白い目、軽蔑の目でとりあえず見ておいた。

わたしは再び本にもどり、ページをめくり、そこにかかれた文章を読む行為に集中した。

しばらくして、ふたたび。ざわざわ、がやがや。人が騒ぎ始める。どうやらいつの間にか授業が終わっていたようで、授業のはじめに配布されたコメントペーパー書いているようだった。

「なに書けばいいんだっけ」

考えるより先に言葉が口先から漏れてしまっていた。隣にいた友達はわたしの言葉を路上ゴミの清掃員のようにきちんと拾っていた。友達は当然、私が後ろのギャルに向かって作ったような白い、軽蔑の目を作り「しらない」という言葉を口を尖らせて言う。

まずい、と感じた時には遅く、ひとり、頭を抱えてみんながペーパーを書き終わるのを静かに待っている私。とりあえず、適当に今日のことでも書こうかなと鉛筆を持とうとすると見かねた友達は小さな声で「授業の感想、質問だってさ」と、教えてくれた。

 

「ありがとう」と私は言った。

 

「ん」とそっけない返事と共にさっきの「あの目」もまた帰ってきたのだった。

彼女の目に映るわたしもまた、栗色の髪を無邪気に揺らす彼女たちと同じような精神、『雑草魂』にきっと見えたのだろう。何が言いたいかというと、ごめん。気を付けます、ということである。人のこと言えないじゃん、ね。反省。