冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

よく知っている天井には慣れない

『君の名残は静かに揺れて』というエロゲーをやった。重い家族愛が描かれていた。なかなかの名作だった。プレイし終わってわたしは家族について考えている。

 

 

「お母さんは、好きですか?」

 

 

この質問は、何百回、何千回と聞かれた。

必ず、どの医者にも聞かれた。友達や知り合いや先生にも聞かれることがあった。

わたしはそのたびに、

「嫌いじゃないけれど、尊敬しています」

といったようなことを返答しているはずだった。

今日、いつものように母と喧嘩をした。我が家では、喧嘩はご飯を食べる時間が近づくと食器を運ぶかのように自然に生じる。

この年まで何不自由なく育てていただいていることもあるし、母は真面目だし、父も自分に関連する物事はきちんとこなしていく人なので、わたしはそれなりに両親のことを尊敬している心算だ。

しかし、今日も我が家に喧嘩は運ばれてきた。

「~ちゃんはさあ、~なのにさあ、あなたは~でさあ」

また、か。と、わたしは心の中でいつものように呟いた。心の耳をそっと塞いだ。視線の先を窓の外の景色に向け、適当に頷いたり、謝ったりを繰り返した。

こういった事は、生まれてからずっと母に言われ続けていた。多分、癖になってしまっているのだろうし、傷付ける意図は本人にはないのだろう。母は笑いながら私に話している、という所からそれは簡単に察することができる。

けれど、人間としてちゃんと出来ていない、立派でもない未熟な私はそういった些細な言葉でも身勝手ならが傷ついてしまうのだ。私はいつも比較されるのが辛かった。しかし、私自身も、他人と他人を比較してしまったり、自分と他人を比較してしまうことが何度もあった。私はずっと、この、比較というものに頭を抱えさせられることを強いられてきたのだ。

けれど、今日の私はカッとなって母親に向かって怒鳴ってしまっていた。思考よりも先に言葉が出てしまったのだ。

「お母さんはさあ、そうやって他人と私を比較するけれど、私はそれですごく傷ついているし、やめてほしい。わたしはそういう言われ方好きじゃないし、比較すること自体おかしいとおもう。別に人様の考えにわたしはああだこうだ言う権利なんてないから頭の中では比較することは自由だと思うけれど、それをわざわざ口に出さないでほしい、なぜならわたしはそれで傷ついているから」と、私は怒鳴り散らした。

それに対して、母はこう言い放った。

「そんなこと言われても、わたしも小さい頃からそうやって他人と比較され続けてきたの、それにわたしは比較されて悔しくなって、成績も伸びた。だから、これがわたしの教育の仕方なの、だから、おかしいのならあなたの祖母の頭がおかしいの、だから祖母に直接頭がおかしいと言って」

私はどうして祖母の話になるのだろう、と頭を抱えて自室に籠った。父親がため息をついて、母に、諦めろ、と言う姿が背中で感じ取れた。その感覚が私を自室へ走らせる。わたしはベッドに寝転がって真っ白な天井を見つめていた。そして目を閉じた。目を閉じた先は暗闇しかないとわかっていながら、わたしは目を閉じてしまう癖をやめられなかった。暗闇の中には母親の顔とだれかの会話が宙に浮いているようで、わたしは、シャットアウトしたはずの現実から離れられずにそれらの事柄を押し付けられるかのようにして、思考を巡らせることになった。

 

母を見ていると、何とも言えない気持ちになる。目をそむけたくなる。まるでもう一人の自分を見ているかのような気持ちになるからだ。わたしは、母に、自分の気持ちや考えを押し付けるなと言ってしまった。だけど、わたしも自分の考えや意見を他人に押し付けるかのように物を言う。全く人のことが言えないのだ。だから私は母を見ていると辛くなる。恐らく他人の目からみたわたしが今のような母なのだろうと思う。

でも、私は比較されて成績は伸びなかった。なのになぜ母はそのやり方を永遠に繰り返し続けるのだろうか。それに、比較することが悪癖であると気付いているようにもとれる。では、なぜそれが祖母の悪癖だとわかってても私に同じやり方で接してくるのだろうか、同じ教育方針で私を育てたのだろうか。

私の頭の中ではぐるぐると言語の羅列が渦を巻いて、わたしは吐き気を感じはじめていた。無理やり体を起こして携帯に眼をやる。

携帯の通知がやたら眩しく光っていた。

それなりに暗い世界に暗順応してしまうと、現実をまぶしく感じてしまう。

明順応することは永遠にできないことを改めて自覚して、私はメールに返信をした。