冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

誰にでもいい顔する君の顔を耕したい

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「あたし、~ちゃんが嫌いなんだよね」

「この人の~っていう作品は好きじゃない」

「この作家は苦手なんだよなあ」

という言葉を聞くと、心底安心できる。その人に心を許すことが出来る。愚痴を吐かれると、わたしは少し嬉しそうな顔で「そうなんだ」と言う。わたしのこの安心は、多くの場合、「あたしもそのひと嫌い!」とか「わかる~!」という意味での安心ではない。

なんでうれしいって思うのか、それは、悪口を言える人間が健全だからである。

 

一週間、一か月、半年、と時が経つにつれて徐々に人間の性質のようなものが、目に見えてくる。

当たり前である。普通の人間をやっていたら誰にだってわかるはずだ。

私の周りには、いわゆる『八方美人』と形容される性格を持った人と、人の好き嫌いが非常に激しい人との二通りしかいない。

誰にでもいい顔をする人、八方美人。

誰のことも好きで、誰のことも嫌いな人。

私はその人たちを見ていると悲しくなる。そういう人と仲良くしている自分にも悲しみや、むなしさを覚える。なぜなら、八方美人に仲良くされても、わたしという人格が好きで仲良くされている訳ではないから。

 

誰とでも仲良くできる人は、誰にも興味がない人間だ。

『好き』な人間がいるから、必然的に『嫌い』な人間が存在し、その人たちを差別するから私たちは一部の人たちと一定以上の付き合い、『親友』という存在を形成することが出来る。

なのに、八方美人には嫌いな人間という概念がない。と、同時に好きな人間という概念がない。愚痴を吐くときには、自分の周囲にいる人間、全員分の悪口を均等かつ丁寧に吐く、そして同じように全員分の良い噂を流す。

わたしからしたら、よくそんなめんどくさいこと出来るなあと思う。面倒事を起こしたくない気持ちはわかるけど、面倒事を起こさないと相手の汚い部分や良いところを含んだ本音が見えないはずだ。人は問題に直面して、初めて本性を現す。なのに、面倒事がめんどくさいと彼らは投げてしまう、回避してしまう。その人に興味がないからだ。知りたいと心底思ってない証だ。

 

人間は『差別』が大好きだ。

差別されることに喜びを感じるようにできている。そういうシステムになっている。それを悲しいと思ったり、抵抗しようとしている人たちもいるけど、無駄な抵抗のように思える。まあ、その話はまた今度で。でも、人間は差があるから喜びを感じ、差があるから悲しみを感じ、差があるから辛いと感じる。わたしは、そう思うんだ。

『好き』や『嫌い』という差別をされるからこそ、『好き』と言われた時に、自分という人間が認められているかのような喜びに浸ることができる。

しかし、八方美人にはその概念がない。だが八方美人も人間だ。差別はしないが差別されることには喜びを感じる。自分は相手を正当に評価しようとしないくせに、相手からの自分の評価をいちいち気にする人間ということになる。

わたしは八方美人に評価されても何も感じないように努めている。

彼らは、わたしという人間に興味を持っているわけでも、知りたいと思っているわけでもないからだ。コミュニケーションをする時間が無駄だ。興味を持ってもらえないのなら、批判や称賛などの意見が与えられても、本当に私のことを考えて発せられた言葉ではない。例えるならば、本をペラペラめくっているだけのコミュニケーション。ただただページをめくっているだけで、そこに書かれている文章に一切目を通さないし、文章の意味を理解しようとしない。

八方美人を目の前にして私がとる行動は、彼らへの好意を示さないように、何の評価も与えないこと。これが、彼らへの最大の抵抗だ。

 

「あのね、心の底では好き嫌いはあるから。口に出すと面倒だし、聞いてる方も嫌でしょ」

 

っていう意見が出ると思う。いやいや、何言ってんのという感じである。口に出さないなら、思っていないのと同じだ。存在してないのと変わらない。言葉にして初めて事実になる。よく自己啓発の本とかでも書かれてると思うけど。だからこれは、八方美人の『美しい』言い訳なんだろうなあと思う。だってこの言葉を八方美人から何百回も聞いてるから。

 

 

 

 

ここで、わたしが八方美人が嫌いな理由についてのお話はおしまい。

わたしの考え方も、誰かにとっては受け入れがたいだろうし、不快だなあと思われるものだろう。すごく偏ってる思考であることもわかる。だから、わたしのことを思って、ちゃんとわたしに意見をくれる人が欲しい。これが、八方美人を相手にしたくない個人的な理由だ。考えれば考えるほど自分は卑しい人間だと思うし、いろんな人としゃべってみれば喋ってみるほど卑しい人間は腐るほどいるんだなあと実感する。

人間の卑しさなんてものは、歴史の本を一ページひらけば誰にでもわかる。けど、人間には卑しさが許されいる。卑しいから人間が成立しているかのようにも思えてしまうのはどうしてだろう。