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これは、故意じゃない。③

小説

物は試しだ、とりあえず体験入店してみよう、と友達と二人でお店に向かうのでした。お店に向かう途中、トイレで化粧をして、人から見られる準備を整えました。Yちゃんは、添い寝でつかの間の安息を求めて、寂しさを埋めてきましたが、添い寝のバイトで、あの独特な寂しさが埋まるのか不安でした。もしかしたら、添い寝する相手も重要なのでは、と思ったからです。誰でもいいわけじゃないのです、恋をする相手を選ぶように、添い寝をする相手も、ちゃんと見極めて選ぶべきなのではないでしょうか。そこでYちゃんは友達に聞いてみました。

「お金をとって、添い寝しても、たぶん、寂しさは埋まらないよね」

「そうだね。寂しさはどうしようもないから、とりあえずレキソタンでも入れときなよ」と、友達は口の中にひょいひょいと薬を入れるふりをした動作をしました。Yちゃんは、とりあえず、ビンポセチンとレキソタンを飲んで、落ち着きと、お客さんと会話するための頭の回転をゲットしましたが、逆に思考が働きすぎて、すべてがYちゃんを責めているような感覚と、本当にこれでいいのか、という気持ちが強くなっていました。

それでも、女に二言はありません。Yちゃんは友達と一緒にバイト先へ向かうのでした。

 

 

 

Yちゃんがまともに人間を相手にお仕事をするのは初めてでした。

もちろん、お金を払って添い寝される側になることも初めてでした。添い寝の相手は選ぶべきではないか、という疑問の答えを見つけるためにも、バイト先に向かうことを決意したのです。お金を取って添い寝をして、寂しさを埋められるのか、埋められなかった場合、自分がどうなってしまうのか、興味があったから、誘われたバイトを受け入れ、不安といろいろな葛藤を抱き、悶々としながらバイト先のある最寄り駅へとたどり着きました。

バイト先は、汚いゴミ箱が置いてある裏路地に位置していました。ひどく狭く、片付けられていない薄暗い狭い階段を上っていくと、いやらしい、ピンクとオレンジのネオンカラーで彩られた店がありました。まるで、赤ちゃんをあやす様なオルゴールが流れている店内で、Yちゃんは自分と生きている世界が違うことに気付き、店内に入ってすぐ、茫然としていました。Yちゃんも、Yちゃんの周囲の物事も人間もお互いに存在を拒絶し合っていました。

自分が、このネオンカラーの、客に幼児退行を促すような場所で働かされるのかと思うと、怖くて仕方がありませんでした。

いつも、甘えている立場の自分が、お金をとって誰かを甘やかすことに恐怖を感じていました。指名されて、お金を取るという事は、必ず相手を甘やかせないといけないからです。友達は、楽しそうに店先の女の子とわいわい喋っていました。

「こないださあ、アナルに挿入されて、マジで痛かったんだけど~ないわ~」

「へ、へえ、そうなんだ~いたそうだねえ……」と、Yちゃんは適切な言葉が見つからなかったので取りあえず頷いておきました。

「あれは挿入するとこじゃなくて出すとこでしょ!」と、一人の女の子が言うと、周りにいた女の子が「そーだ!そーだ!」と一斉に声を上げ始めました。

ゲラゲラと笑う女の子たちに、Yちゃんは何も言葉を発せずにいました。全く会話についていけていませんでした。

Yちゃんが1人ポカーンとしているうちに、お店の店長が、部屋を区切っているカーテンの隙間から出てきました。中年の男性で、目つきは鋭く、女慣れした顔をしていました。店の、ピンク色のカラーとは正反対で、Yちゃんを、異端者を見る目で睨みつけてきました。まあ、それで正解なのですが。

「きみ、ここがどういう場所かわかってるの?」

店長に言われた言葉に、Yちゃんは二度目の衝撃を受けました。一度目は店内に入って、生きてる世界が違っているな、と思った瞬間でした次は、この質問でした。この世界が、普通のバイトと違った世界のものだということをハッキリと示されたからです。世界が違うことに怯えていたYちゃんにとって、この質問は圧倒的なまでの威力を持っていました。

「はい」と、Yちゃんは言われるがままに答えていました。

ある程度は受け入れていたものの、お客と女の子の添い寝リフレのやり取りの様子を隣で見ていると、全部、綺麗な嘘の会話で固められていました。嘘の生年月日で客からプレゼントを貰ったり、嘘の情報を与えたり、綺麗でかわいい嘘塗れでした。嘘の名前、嘘の情報、嘘の添い寝、嘘の状況、すべてが、何もかもが嘘で出来ていました。話をしてみて、やっぱり、どうしても、そこで作られる『人工的』な秘密基地には安心感を覚えられなかったので、Yちゃんにとって、とても耐え難い返事でした。

「じゃあ、さっさと着替えて。服はそこにあるから。じゃあよろしく」と、突き放すように言われて、カーテン越しに用意された服を友達と一緒になって選びました。

ピンクやフリフリで縁取られたケーキみたいな、いかにも女のような服ばかりが並んでいました。やたらと丈の短い、パンツが見えてしまうんじゃないかというくらいのスカートや、女子高生の制服があり、Yちゃんはその中から長ズボンのもこもこのパジャマを見つけ出して、ラックから取り出してさっさと着替えました。友達は、下着が見えてしまいそうなくらい短いパンツを慣れた様子で着ていて、いつもの友達ではなく、売り物として存在している友達がそこにいるんだなあ、と思い悲しくなりました。

パジャマ、じゃなくて、『衣装』は、知らない女の子の匂いがしました。

着替えた後に、お店での源氏名を決めました。Yちゃんはいつでも、だいたいどの場所でもYちゃんと呼ばれ慣れていたので、違和感と、自分が商品にされている感覚、ラベルを貼られて出品されるのか、と悲しくなりました。

源氏名は商品を差別化するためのラベルで、自分は、本当にこの場所では、ただの商品なんだ、と名前を呼ばれるたびに、ひしひしと痛感させられました。

パジャマ姿で、お店の外へ行き、仕事帰りのサラリーマンや大学生を狙って、夜の街で適当にビラ配りをし終える頃には、メンタルヘルスが悲鳴を上げていて、高熱が出てしまいました。夜の闇と、街の闇に同化したYちゃんは、心の中で何度も助けてくれ、と、叫んでいました。そのまま高熱で倒れてしまうと、「だいじょうぶ?~ちゃん!」と、一緒に働いている女の子から源氏名で呼ばれました。当然です、ここはバイト先、お店の中、闇の中だから。名前が呼ばれるたびに、自分が削られていく感覚がありました。

お店に戻ると、Yちゃんを見かねた友達が、Yちゃんを休ませてくれました。

Yちゃんの体力と精神は限界を迎えていたからです。紙コップに入れられたウーロン茶を口にすると、喉を落ちていく冷たさにびっくりしました。

自分の体から、緊張とストレスによる発熱が起きていることが、ウーロン茶の冷たさとのギャップですぐにわかりました。こんなに飲み物って冷たかったんだっけ、と思うほど発熱して、休んでいると、間もなくしてお客さんがお店に入ってきました。

40代後半か、50代ほどの、お父さんのような風貌をした男性客でした。恐らく、家庭を持った人でした。帰る場所のある人でした。

客が入ってくると同時に、女の子たちが客を取り囲んで会話を始めます。とても楽しそうに見えるように、他愛ない会話を繰り広げています。客は少しだけ女の子のテンションについていけていない様子でした。熱のせいか、店内に響くオルゴールの音が、どこか遠くの世界の音楽のように聞こえました。激しい頭痛でYちゃんは、それどころじゃなかったので、客に「お帰りなさい」と、一言だけ適当に挨拶をすませて、ひたすらウーロン茶を体に流し込んで熱を下げようとしていました。

客が、どの女のこと添い寝をするか唸りながら悩んでいると、ぐったりとしているYちゃんのことを横目でチラチラと見始めました。コルクボードに貼ってある女の子たちの写真と、Yちゃんを見て、目線を何回も行き来していたので、Yちゃんはすぐに気づきました。体験入店の身である自分の写真は、まだコルクボードに貼ってありませんから、客が不思議がっていることに。次の瞬間、自分が指名されるであろうことに。

散々コルクボードと睨めっこをしてから、客は茶髪の女の子に、小声で、「黒髪、ショートのボブの、あそこでお茶を飲んでいる女の子で」とYちゃんに聞こえる声で答えました。女の子は残念そうな表情をして不満を漏らしてからYちゃんの偽物の名前を、客に媚びる声の高さのトーンで呼びました。

今思えば、いいお客さんだったのだと思います。だって、こんなお店で申し訳なさそうに、弱々しく振る舞っているお客さんをしているひとなんていませんから。ここでは、お客さんの方が圧倒的に立場は上で、Yちゃんたち女の子は、選ばれる側の人間なのです。客と女の子との上下関係は一目瞭然で、悲しいほどにハッキリとしていました。

源氏名で呼ばれたYちゃんは、客から見えないようにひとつだけ深いため息をついて、「ごめんなさい、今日はもう上がりです」と明るい調子で言いました。

客はYちゃんの気丈な振る舞いとは裏腹に、がっかりと肩を落とすと、「また来ます」と、一言のこして帰っていきました、ほんとうの家族がいるお家に。

Yちゃんはバイトでまともに働けずに、友達に大きな迷惑をかけてしまいました。お金を受け取る資格すらないと思ったからです。自分には勇気がありませんでした。それでもお金を受け取ってしまいました。Yちゃんは自分の弱さを憎みました。きちんとお仕事を遂行できなかったことを申し訳なく思っている気持ちと、自分が商品になってしまった苦しみとのストレスで、Yちゃんはめちゃくちゃになっていました。Yちゃんは帰りに友達と食べたごはんを、駅で吐きかけました。すぐに駅のトイレに駆け込みました。トイレで何度も込みあがってくる吐しゃ物を水で飲み込みましたが、冷や汗で背中がびっしょりになって顔から血の気が引いていました。鏡で見た自分の顔は紙のように真っ白で死人そのものでした。精神的に死んでしまったのかと思うほどに。もうこのまま吐いてしまえば、気を失って忘れられるかもしれない、と思いもしましたが、吐き気の辛さに耐えられず、いつものようにカバンの中からお守りのようにYちゃんを守ってくれている精神安定剤の薬に頼りました。

吐しゃ物をなんとか押しとどめて、レキソタンと一緒に胃の奥の方まで飲み込みました。不安で、胃と胸がすごく苦しくなっていました。帰り際に聞いた、大森靖子の『パーティードレス』が耳の奥で鳴りやまなかったからです。Yちゃんの処女の心が、絶えず、悲鳴をあげていたからです。

「とっても不幸になりたいの、だから我慢して……」と、Yちゃんは心の中で何度も何度も繰り返しつぶやきました。

そうです、不幸がなければ、幸福にはなれませんから。これは、Yちゃんにとって必要な経験であり、不幸だったのです。不幸を得られることは幸福です。なぜなら、幸福に必ずつながるからです。幸福と不幸に大きな差があるから人は幸福を実感できる。これはきっと、幸福につながる不幸なのだ、この次は幸福しかこないのだ、と自分に言い聞かせるように、『パーティードレス』のフレーズを何度も頭の中で無理やり再生して、飲み込めない状況に対して、寝る前に大量に精神薬を飲み込み、強制的に眠りにつきました。

結局、Yちゃんがバイトを続けることも、バイトで添い寝をすることもありませんでした。でも、商品としてそこにいたことは、まぎれもない事実で、Yちゃんの処女の心から、小学生の時、初めて知らない男の子と手をつないだ時のように、再び何かを奪っていきました。

 

 

Yちゃんの恋愛観や何もかもが完全に変わってしまったのは、三度目の添い寝の経験のときのことでした。

相手は、とうとう、好きでもなんでもない男の人になっていました。Yちゃんは、ついに、恋人じゃない男の人と添い寝をしてしまいました。すべてがどうでもよくなるとともに、Yちゃんの処女の心は静かに死んでいこうとしていました。

きっかけは、あの寂しさでした。

大好きだった彼を失った寂しさが、時間をかけてYちゃんを侵食していきました。寂しさがYちゃんの心を支配したのです。理由もない寂しさと男の人と添い寝してはいけないと決心していた自分の倫理観は、常に戦争を繰り返していましたが、ついに勝ちを寂しさに譲ってしまったのです。

好きじゃない男の人との添い寝の時に、薄い胸板に耳を当てると聞こえてくるドキドキとなる音楽は、もう音楽ではなくなっていました。ただの、なんらかの性的な興奮なんだろうな、としか認識できなくなっていました。

Yちゃん自身の心臓は全く高鳴っている様子はなく、だからといって落ち着いているわけでもありませんでした。

「ドキドキ、してるね」

それでも、誰かと添い寝をする時は必ず、Yちゃんは、相手の人の、誰かの胸に耳を当ててこう言います。

そこには、確かに早い心音のスピードがありました。心拍数が上がっているのは、性的興奮か何かなのでしょう、これは、あの時の、本当に人と愛し合っていた時の、愛情の音楽ではない、と、その違いをどこかで悟っていました。多分、処女の心の部分なのでしょう、今の状況の何もかもを受け入れようとしないのは、きっと。

ある時、ある添い寝相手の人がYちゃんの胸に耳を当ててきました。

Yちゃんの、小さな平べったい丘に耳を当てました。Yちゃんの、そのなめらかな丘は、肉体的な拒絶を示す丘でもありました。女の子はみんな持っているのです。Yちゃんは安心を覚えたのち、いつもの癖で相手の人の髪の毛を撫でました。男の人の髪の毛は、女の子のそれと違ってすごくパサパサとしていました。手にも違和感を覚えました。

「君だって、ほら、ドキドキしてるよ」と、男の人はYちゃんの胸に埋まり言いました。

「んーん、ごめんね、それは恋してる音じゃないの」と、Yちゃんは言いました。それは一種の拒絶の言葉でした。誰かの腕じゃない、自分の腕で、顔を隠しながら、静かに言葉を放ちました。

ドキドキ、ドキドキ。

自分の心音がした。

確かにしてるね。

でもね、

それはね、恋じゃないの。

それはね、

Yちゃんの、おとめごころ、処女の心が、

壊れていく、

音、

なの。

こうして、ドキドキしながら、いつか、Yちゃんは死ぬのでしょう。

Yちゃんの、ドキドキと鳴る自分の心臓の音は、愛情からくるものではありませんでした。ただの自然現象でしかありませんでした。

ただ、生物が生きているという証明でしかありませんでした。Yちゃんは、静かに目を瞑り、男の人の腕の中にある、今はもう秘密基地とは呼べない、性的な欲望と、寂しさの暗がりの独房で、一人ぼっちでひっそりと死に至る病に苦しんでいました。

今は、ちっぽけな寂しさを埋める度に失われていく感覚だけがある。

しかし、失われたものはもう二度と取り戻せません。寂しさから得れるものもありません。ただただ、何も得られず、失うだけの日常が過ぎていくだけでした。ちっぽけな虚無感だけが、どんどん心に穴をあけていきます。心が、寂しさという害虫に虫食いリンゴのように荒らされます。

その穴が、今でもじわじわと広がっていくのがわかります。進行しているのが、はっきりとわかっていても、原因のわからない寂しさは薬でも、つかの間の添い寝で得られる、ハッキリとしない、どこかモヤモヤした安心感でも埋めることはできません。寂しさは、永遠に寂しさのまま、名前を変えずに存在するのです。

Yちゃんの心の中には、今日も明日も明後日も、変わらず、埋められない寂しさがありました。

それでも、

「添い寝、してほしいな」

と、ゆく先々でYちゃんは言うのでした。

懇願するのでした。

ちっぽけな寂しさが、今日もYちゃんの心臓を鳴らしている。

Yちゃんは、ちゃんと今日も明日も生きていく。

ドキドキ、ドキドキ。

ゴクゴク、飲まれていく精神安定剤(トランキライザー)と一緒に。

それは、恋している音じゃない、世間一般で言う、悲鳴と呼ばれるものに、とても近いもの。どこかで聞いたことのあるフレーズ、そうだ、笑いと叫びはとても似ている。

笑い飛ばそう。あの、バイトのことも、寂しさも。

泣き飛ばそう。拠り所のない感覚を。

叫べ。笑っているのか、泣いているのか、わからなくなるくらいに。

これは、恋じゃないんだって。