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ブルーなアリス

小説

女の子はセックスで簡単に落下する生き物だ、とわたしは思った。

「彼女出来たんだー」

 紹介された女性は、わたしが思っている以上に上品で、きらびやかな容姿をしていた。初対面の人に対して浮かべるべき笑顔をすぐに作れて、お世辞もすらすらと言えてしまう子だった。今までとは違うタイプだったので、わたしはちょっと驚きを隠せずにいて、上から下まで彼女の事をじっくりと観察していた。彼は、彼女に気軽に触れるような素振りを見せず、一定の距離感、いわゆる、家族の距離感を保っていた。そしてわたしは、距離感の作り方に、このカップルはうまくいっているし、恐らく結婚するのだろうと直感した。

 初めて会った人と、だらだらと散歩するのは得意じゃないので、適当なカフェを指さして3人で入った。わたしと、彼と、彼の彼女とで、席につく。席に着くや否や、彼女はそそくさと化粧を直しにトイレへ行った。彼女がドアを開けて、鍵を閉める。ガチャリという音を立てたのを確認してから話を振った。

「彼女、かわいいし、何か意外だ」

「でしょ」

「うん」

「まあ、何か、いろいろあったけどさ。妻子持ちと寝ちゃったり、適当な女の子拾ってきちゃったり。でも今の彼女がすごく大事なんだよね」

黒歴史ってやつですか」

「うん、そんなところ、悪いけど俺にとっては青春だし、申し訳ないことしたなあとは思ってるけど、なんつーか、必要悪みたいなものだったんだよ、若気の至りってやつ、まあ簡単に言っちゃえば黒歴史だね」

「今の彼女、どんな人?」

「素敵なひと」

「今までの彼女や遊んだ女の子は、素敵じゃなかったの?」

「忘れちゃった」

「点だもんね」

「そうそう、もう、ここからじゃよく見えない」

 わたしは、彼の友達で、彼のことを心配していたから、今の状況は祝福できる。

 華やかで、上品で、愛想笑いができる、理想的な彼女を、よくもまあこんな男が。けしからんと思いつつも、彼の女性関係の爛れ具合からは予想だにしていない結末に、わたしは依然、唖然とし、また、自分の未来も少し明るく見え、嬉しくなった。

 でも、もし、彼にもてあそばれた女の子たちはどう思うんだろう。彼女たちが幸せだったら、まあどうでもいいと思うだろうし、不幸だったら死ねって言いたくなるのかもしれない。けど、中には処女だった子もいた。彼に弄ばれて、落下した女の子だ。彼女はもう帰ってこないし、どこにもいない。落ちてしまったから。バラバラになって、よくわからなくなって、無くなったパーツを人から与えられて、なんだかもう彼女じゃない誰かになっていた。わたしは、彼女のパーツを拾って上げなかった。もちろん、彼も。

 運がいいと、恋と、それは確かにいえるし、悪く言うとだいたい悲劇だ。うっかりすると、本当にギリシャ悲劇より重大な問題かもしれない。

 でも、きっと気付けない。落ちている最中は、たとえ真っ逆さまだったとしても、これが運命かもしれないとか絶対に考えてしまう。本当に、ただただ落ちているだけなのにね。わたしたちはアリスじゃないし。

 完全に落下しきってしまって、激しく地面に打ち付けられて、衝撃を感じた瞬間、色んなものを手放してしまったようだ。肉体だけじゃなくて、精神までもが、どっかに飛び散っちゃったみたい。

 それからわたしは、自分がちぎれて飛び散っていくのを見て、激しく後悔する。わたしを構成していた塵や破片が、もはやわたしでなく、人間以下の価値になった分解された要素が、ゴミのように扱われている。ただわたしは様子を見ていた。もう誰でもないからどうでもよかった。

 「わたしは、ヒロインじゃないっぽい」

 「君の人生の中ではちゃんとヒロインしてるよ」

 「君の物語から落下しちゃったし。全部から遠ざかっちゃった」

 「拾って上げられなくて、選んであげられなくてごめん」

 「ヒロイン向いてないし、べつにいい」

 そっぽ向いてやって、勝ったつもりでいたけど、本当は顔を見て話したくないからだった。わたしは、彼が幸せなのを認めたくなかった。あんな最低で、わたしを落下させたのに、距離感をめちゃくちゃにしてきたのに、彼との問題はわたしには解決できなかった。彼のことを友達に愚痴ると、必ず「最低な男だね」と同調されたのに。そいつ、絶対痛い目あうし、誰とも結婚できないよと口をそろえて言われた。彼の抱えている人格や拘りを解決に促す魅力や能力が私には圧倒的に欠けていた。なのに、突然現れた女の子には、わたしより彼との仲の日も浅いのに、一瞬で解決していったのだ。なんという優等生、なんというヒロイン。

 「もしかして、わたし、邪魔だったかな」

トイレから帰ってきた彼女が、わたしの向かいの席にいつの間にか戻っていた。

 「ううん、昔話でちょっと盛り上がってただけ、ごめんね。ところで、そのワンピース可愛いね、にあってる」

 と、わたしはごまかす。適当な話題を持ち出してやり過ごそうと、わたしは彼女の服を褒めてみた。

 「うれしい!水色は彼も好きだって言うから、不思議の国のアリスをイメージしてコーディネートしてみたの」

 「すごく、よく似合ってると思う」

 誰よりも、彼に近い、高い場所にいたつもりだった。ただ、わたしは、彼の作る巨大な壁の、一番高いところにいただけで。いつのまにか隔たりの部分に縋っていた。わたしは、そこから落ちただけ。本当にそれだけで。彼女は突然やってきて、壁なんかすぐに壊してしまう。ただ、彼の世界では、彼女の方がより大きな存在だったというだけで、わたしは相対的に見て小さかっただけだ。私の世界で、わたしは確かにヒロインだったかもしれない。でもそれは、私の世界の中だけの話であって。