冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

手紙にまつわる思い出

わたしは、手紙を書くのがとても好きだ。

手紙はインターネットと違って、枚数がある。そして何より手書きである。(なぜかしらないけど私的に嬉しくなってしまうのは量だったりする。本来は内容でなければならないはずなのにね~)

 

なぜ好きか、手紙に拘るかと言うと、すごく、すごく嫌な思い出があるからだ。

 

わたしが中学の時は、手紙回しというコミュニケーションがけっこう流行った。学校の先生も、手紙回しを発見すると、すぐに生徒をきつく叱った。手紙回しは、文字通り、紙きれにメッセージを書いて、主に授業中に相手に渡す行為を指す。もちろん、授業中なのにどうやって渡すのか、と疑問に思うだろう。どうやって渡すかと言うと、先生が黒板に字を書いている隙を見計らって、送り先の相手の机に投げたり、隣の席の人に「~ちゃんにまわして」とお願いして伝言ゲームの要領で流していくのだ。

 

ある日、わたしは教室の掃除中に、手紙回しで使われたような紙切れを拾った。きちんとした便箋ではなく、ノートの端きれに『Dear○○From○○○』と書かれて、ふたつ折りにされていたので、授業中に渡すのに失敗したのだろうと思った。字は、わたしがよく悩み事を相談していた友達のものだったので、その子に直接渡して、もどしておこうとした。だけど、よく見ると、送り先の相手が、クラスで一番と言っていいほどの中の悪い友達あてだった。

冷や汗が止まらなくなった。あの、一番苦手な子にうまい具合に距離を取って、関わらないようにしてきたのに。関わらないように、機嫌を取って、友達に、わたしの何がいけないのか聞いていたのに。あの子は苦手だから、関わりたくないし、あの子に嫌われたくない、と話してしまっていた。怖い。これは、まずい。

口頭で相談として、話したことが、すべて伝えられていたのだ。

学校は小さな社会だ、そしてリーダーにより政治が行われる空間で、ハブられたら終わる。人権が無くなる。先生は見てみぬふりをして、リーダーがいい子だと勘違いしている。なのに、平気でそういうやつらが推薦を取っていくのが、常であった。

おそるおそる、二つ折りにされた手紙を開く前に、光にかざした。『死ね』や『ウザい』と書かれていた。あ、これは誰かの悪口が書かれていると一瞬でわかる仕様だった。深呼吸してから、手紙を開く。そこに書かれていた悪口は、覚悟していた通り、わたしへの誹謗中傷だった。

『(わたし)ちゃんってマジでウザいよな、死ねって思う』

三行くらいにわたしへの印象が凝縮されていた。

わたしは、友達だと思っていた、その他人に手紙を開いた状態で渡した。その子は、かなり戸惑った様子で、「あっ、これは、ごめん」とだけ言って、そそくさと去っていった。

ああ、こんなことなら相談なんて最初からしなければよかったのだ。と、心から思った。何も話さず、無反応にしていればよかったものを。もしかしたら、相談さえ悪口に値し、わたしは罰されたのかもしれないと、頭を抱えた。

わたしは恐怖を必死に抑えながら、何も知らないふりをし続けた。少しだけ察していたのか、先生は、様子のおかしくなったわたしを見て、面談の時に調子を訪ねてきた。だけどその時には、すっかりわたしは何も話したくなくなっていたので、一貫して「えーっなんにもないですよ~!」とニコニコとするようにしていた。

こうして、無反応をつき通していたら、今度は授業中に消しカスを投げつけられるようになった。

 

それでも何とかやり切って、年が明けたころに、他人になった子から年賀状が来た。

裏表しかないのに、謝罪文のようなものが10行ほど書かれていた。とりあえず何度か読み返して、恨んではいけないし、許さなければならないのだ、と心の中で何度も唱えた。でも、どうしても、今でも忘れられなくて、許せないでいる。そして今でも夢や、頭に映像が流れてくる。

高3あがり、その子はもちろん、推薦を取っていた。あの子はきっと10行以上の文章を、なんだかよくわからないけれど、とてもうまく書いたのだと思った。