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冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

くらげワルツ

 くらげが、ふわ~って浮いている。ねえねえ、葛西臨海公園のさあ、汚い海のことをまだ覚えてる?わたし、それっぽい気持ちにようやくなれて、海が見たいって言って、わざわざこんなところまで足を運んだんだよ。なのにさあ、こーんなでっかい水たまりを見に来たわけじゃないのに、もっとロマンチックになれるものを見に来たのに。でも、第一声が、「うわ、汚な」だったらそれこそぶち壊しじゃん?それで、仕方なく公園の中を散歩したよね、お互いに黙って。申し訳程度に、“巨大な水たまり”に目をやると、最初はゴミ袋かなんかかと思ってたんだけど、よく見てみたら、フワフワ~って浮いている、いつも水槽で見ていたヤツがいるの。その瞬間にさ、あたし、これになろうって思っちゃったんだよね。これに、なるんだってね。

 

 

「くらげの体は、90%以上が水で出来ていて、彼らは死ぬと水に還ります」

くらげの水槽のまえでぼくと彼女は手を繋いで、館内に響く無機質な音声ガイドを聞いていた。僕が彼女の手を強く握って、欲望の度合いを表す。すると、彼女は「あっ」と声をあげて、フリルが施されたパーカーのポケットから、マイメロディのボールペンを取り出した。

 そうやって、彼女は時折メモを取ったりしながら、かなり熱心に、ぼく以外の声に耳を傾けていた。ぼくは、一見、いかにも、と言われてしまいがちなかわいい服装をしつつも、勉強熱心である彼女の一面がとても好きだった。

 フリフリで縁取られたハートのポケット付きのピンクのフリフリのパーカーは、少しだけサイズが大きめのもので、だぼっと着こなしている。お尻よりやや下にあるパーカーの下に、赤いチェックの短いプリーツの入ったスカートを穿いていた。不釣り合いなニーソックスの長さは、スカートの短さを際立たせていた。

 彼女のペンの動きが止まったところで、「メモ、取れた?」と、ぼくが彼女に尋ねる。しかし、彼女が返すのは意味深な微笑みだけで、次はここへ行こう、あの水槽がみたい、そういった類のわがままも言わない。そうこうしているうちに2時間が経ってしまった。ぼくらはずっと水槽をぼーっと見ていた。居た堪れなくなったぼくは彼女の親指をつついた。

「今めもめもしてるから待ってぇ」

勉強熱心を言い訳に、手を繋ごうとするのを拒絶したいのだろうな。ぼくは諦めて、彼氏の特権を短く利用して、彼女の頭を撫でた。ふにゅう、と声を漏らす。

知っている。

 彼女は別に、勉強が好きなわけではないし、ぼくのことが好きなわけでもないのだろう。

 機能性がないハートの形に縫い付けられたポケットからは、いつボールペンが落ちてしまってもおかしくなさそうだ。

「くらげを見るのは何回目?」

「ふにゅう」

横から覗いたメモ帳には、同じような内容の文章がいくつも乱雑に書き込まれていた。

『くらげは、死んだら水になれる。』

『くらげは死んだら、みず。』

『くらげはみずみたいなもので、死んだら海になる。』

「やっぱり。何回も、ここに来ていたんだね」

 メモは、他の男の人と行っても取るのかな。だったら安心だ。彼女はぼく以外の男の人にも興味がないということだ。誰にも触れられたくない、ただそれだけを意味する知識が、マイメロディのメモ帳に残されている、そのメモひとつで彼女とぼくを含む周りの人間たちの距離感がわかる。ぼくはひどく混乱していた。静かに、気持ちを整理する時間が必要だった。けれど、沈黙を破ったのは彼女の方からだった。

「ふにゅう」

「なに?ちゃんとメモできた?」

僕は微笑むんだ。彼女が答える。

「ねえ、それっぽい海が見たい」