冷静と失禁のあいだ

死ぬまで踊り続けるマグロさんの話

回転寿司みたいな好き嫌いに不安を覚える

ひどく健常な人だった。少なくとも私はそう判断した。もちろん、ひどく健常なのは私ではなく、相手の方だ。別に私が絶対に健常でないわけではない、私と相手と、比べてみて相手の方がちょっと健常の度合いが強かっただけだ。

健常には一貫性があった。一貫性があるから健常なのだ。健常は円のようだ。くるくると同じレールに沿って思考が回転し続けられる様式を健常だとたとえる。回転寿司屋で回ってくるものが寿司だけじゃなくて、プリンやケーキといったデザートでも受け入れてしまう、だから重要なのはレールの方なんだと私は思う。

相手は一貫してくるくると回るレールに沿ってモノを見ている、そしてレールにモノを流す。思考の速度が一定でなくても、様式が決まっていれば、それは健常だ。

相手の健常の度合いの強さに意識が向いたのは、お互いの好きなものについて会話を繰り返していた時だった。

Aもいい、Bもいい(名前に意味が無いと思ったからあえて挙げない)あとCもいい、と相手は喋っていた。

私はその羅列から好きを感じなかった。本当に相手のことを「あじ、いくら、サーモン」みたいにポンポンと流していく回転寿司屋だとしか思えなかった。私が適当に「ツナ、ハンバーグすき」って言ったら、相手はツナとハンバーグもいいねって回転寿司屋なのに本当にツナとハンバーグをネタとして採用してしまうくらいだった。

お前は本当は何も好きじゃないし、何も嫌いじゃない。

ただ決まった思考のレールにモノをひたすら流しているだけなんだ。お前は回転寿司のレールに寿司に紛れてたまにデザートをおいているだけだ、所詮好きなんてこういうものなのかもしれない。なにこれ!なんか寿司に紛れてウマそうなスイーツ出てきたんだけど!と人に思わせるためにデザートを置いているだけだ。ちょっと人の気が引きたいだけなんだ。試しに食べてみちゃおうかなって、寿司の味もスイーツの味もよくわかってない他人につつかれたいだけなんだ。つつかれるためのネタに過ぎないんだ。