思いでは映画のように

あの時の時間を、写真に納めなくてよかった、今ならわかる。

今、私は、何もかもを写真に残してしまいたいと思う。そして、そのうちそうするようになるだろう。自分の視点を、画として残して、その空気感に浸れるような写真を撮りたい。だからそのうち、撮るつもりでいる。

だけど、本当に残したかった大事な、とても大事な時間は、何一つとして記録に残さなかった。やり取りした手紙は手元にあるし、頭のなかには、鮮明な景色、緑や草の葉、散歩した公園の思い出が鮮明に焼き付いている。

でも、きっと今の私はそれらの思い出を残すべきだったと後悔している。けれど、なにも記録をとらなくて正解だった。激しい感情を伴った記憶は、映画のようにロマンチックだった。私はたまにこの映画を再生している、頭のなかで。本当はそこまでロマンチックでもなかったのに、記憶は都合良く解釈してくれるから、ラブロマンス映画の一作品として私の頭に収録されている。そういうものこそ記録なんてとらない方がいいのかもしれない。映画のように都合良く解釈して、たまに再生できて、そして悪いことが思い出せなくなっていく方が。