濱口竜介『ハッピーアワー』感想

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カメラは人を平等にする。濱口竜介のカメラは全ての人に平等だと思う。

 

『ハッピーアワー』の感想をちょろっと。フィルマークスにも書いたけどブログにも残しておこうかと思った。(物覚え悪すぎてブログとかにまとめて残さないとすぐ忘れるんですよね)『寝ても覚めても』がかなり良かったのでAmazonで即買いました。好きなものを好きな時に買える時代最高。あとユリイカもちゃんと買いました。

 

私はこの映画の5時間17分が本当に興味深く、心地よかった。買ってよかった。

社会人になってよかったのは、エロゲと映画と漫画と演劇と音楽とゲームに惜しみなく金を使えるところだ。ていうか本当にお金の面でしか今のところ良いところがない。ウケる。

 

さて。

有言実行なので『寝ても覚めても』の視聴後に買って見た。『ハッピーアワー』のキャラクターを全員愛したくなるような、セリフと濃密なディスコミュニケーションがとても心地よかった。

印象的なシーンをいくつか挙げると、

  • 冒頭の鵜飼さんの顔が逆光で見えないところ(鵜飼さんのよくわからない・捉えづらい・不確かな人物像を示しているように思える)
  • 良彦が階段で崩れ落ちて、その背中を見つめる桜子のシーン
  • クラブ?で松葉杖でリズムを取るように歩くシーン

がとても印象的だった。

 

この映画は、冒頭の胡散臭いワークショップで行われた、人が人とちょうどいい距離感を見つけていこうとする過程を描いていると思う。

 

冒頭のシーンで、ヒロインは鵜飼のワークショップで、見ず知らずの参加者たちと円を作ることに挑戦する。何人かの人間で円のようなものを作って、お互いに喋らず触れたりせずに丁度いい距離を探っていく。この取りそのものが映画の内容だと思う。

 

この映画に出てくる女性たちも、その女性とうまくいっていない男たちも、登場人物一人の視点で判断すると、イヤな悪いやつに見える。が、カメラを通して見るとそこにいたのは、ただめっちゃ不器用な人間たちだった。


そして、胡散臭いワークショップでやったように、人生でも同様、新しく出会った人や、予期しない出来事によって容易に崩れるバランスを、コミュニケーションを通してバランスを取りなおしていく。(発見する)

私たちはくっつきすぎず、離れすぎず、コミュニケーションを通して丁度いい距離(バランスが保たれた状態)を探っていくのだ。


映画の中盤、純が姿を消し最後まで不在だが、それがバッドエンドだと思うかは本当に主観に過ぎないと思う。


私はあれは丁度いい距離に捉えられるんじゃないかと思った。ジュンは新天地でうまくやれているんじゃないかな。


そしてその不器用さを全てとらえ、丁寧に描こうとする濱口監督はめっちゃ人間を愛しすぎている、カメラの眼差しに愛を感じた。