クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime展のメモと感想

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お天気が悪くて気圧も低くて、陰鬱な気分のままボルタンスキー展に足を運んだ。ボルタンスキー展も陰鬱な薄暗い気分をそのまま再現したような空間だった。

入口を通ると、映像が流れている。映像は、仮面を被った表情のない男が、チロチロと舌先で人形の女の子の唇を舐めているだけの映像だった。もう既にかなり気持ち悪い。ただ男がひたすら女の子をペロペロしている映像を、暗闇の中で、色んな人たちが熱心な顔つきで見ているのが非常にシュール。(なめる男)

不安を抱えたまま通路をむと、大量の白黒写真が並べられていた。

普通の家族の写真である。その後は、モニュメント(記念碑)が不規則に置かれていた。ぼやけた、子供の顔の白黒写真を、橙色のライトが宗教的に照らしていた。目や口元のくぼみが強調されていて、遠くからぼーっと見つめているとどれも同じような顔つきで、近くで見ると個体差があるようにも思えてくる。その子をもっとよく知ろう近づいて見ても、並べられているのはただの顔写真一枚だけで、それもぼやけているものに過ぎないことに気付く。この距離感も不気味だった。

遠くから心臓音のする広い空間では、黒いコートを羽織った木の人形が点在し、中心に大量の服の山がある。(ぼた山)先ほどの写真と同じように、一つ一つの形や色を読み取ることは難しい。ただ、積み重なっている大量の衣服なのだ。自分と同じ服を纏う人には、セールで買った服とユニクロの服を着ている時くらいにしかほぼほぼ出会わないが、服が本来持つであろう個性のラベルの意味を全て取り去ったもののようで、世界史の教科書の写真にあるような死体の山を見ている気分になった。一つ一つの人間・死には意味があったのか、無かったのか。これを見ている限り、死んだ数だけに意味があったとしか思えない。

山を取り囲むように配置された人形に近づくと音声が再生され「ねえ、祈った?」と私たちに問いかけてくる。人形は全て、「ねえ」と私たちに問いかけ、それはまるで死者が、死ぬ瞬間の感覚を私たちに囁いてきているようで、そのまま悪夢に出てきそうな光景だった。この山を構成する服(人間)、一人一人の長い時間の積み重ねであっただろう人生に唐突に打たれた終止符で起きたであろう痛みや記憶、感覚を立体的に表現しているようだった。

最後の空間は、海と鯨のカラー映像だった。海の向こう側へ向かうと、(黄金の海)を渡り、出口に続くようになっている。

わかったことは、日曜日のお天気の良い日に見るものではない!ということ!

展示概要を見ればなんとなく伝えたいことは見えてくるかもしれないけど、一通り見終わるまでは、敢えて何も見ずに、見た人たちが感じ取った「不気味さ」を言語化して、どこかにシェアして欲しいなあ。これはぜひ見た人たちの感想を知りたいなと思ったので、わたしはこうしてメモを残している。

 

※メモ

新国立美術館に行きたいなと思ったきっかけが、ピエールボナールの展示で図録を買い忘れたからだった。あの展示は本当に良かった。あとあと図録が欲しくなったんだけど、なんでこんなに良い展示をみて図録を買わなかったのか思い出した。生で見た時の印象と、図録での印刷の色味が全く異なっていて、全然良くなかったからだ。