「一番好きな本は何ですか?」
と聞かれると、待ってました、とばかりにわたしは「ノルウェイの森です」と、答える。
ノルウェイの森を読んだことがある人には、わかると思うけど、ストーリーがどうとか、じゃなくて、内容が凄く深く、複雑なところに魅力を感じる。
登場人物の性格や行動が、今の私たちの、大学生活にありふれすぎていて、ところどころ、彼らの仕草や読書遍歴に共感できてしまう些細な喜びもありながら、落とし穴のように存在する、上記した感覚を凌駕するほどの『絶望』についてのストーリーも含まれている。
このアンバランスさがこの小説の魅力であると考えられ、メインが、彼女の絶望だ。
『絶望』とは、もちろん、直子の絶望のことだ。
幼少期からの幼馴染で恋人という関係をキズキくんと築いて、生まれたのは愛かな?と思えるものと、それとは反対に明確かな信頼関係。不確かな物と確かな物、ふたつともあった関係だったけど、不確かな物が厄介だった。どうしても、どうしてもセックスができないのだ。心底愛しているのかわからないから、濡れない。でも、信頼関係はあったからキズキと付き合っていられた。セックスできないだけ。でも信頼だけはある。誰から見ても、信頼の面では良い関係だった。
しかし突然、キズキが自死してしまう。
理由は不明。
だけど、直子との未来なような気もしなくもない。
キズキがどんな人物であるか描かれていない以上、ここは沈黙すべき点であるが、直子が愛してなかったと感じたから死んだのではないかと思ったり。少なくとも、一因にはなってそう。
こうして、モヤモヤしてよくわからない愛と、精神が不安定な直子にもそれが信頼できる関係であったと言い張れるものの存在、二つとも失われてしまい、直子は言い難い寂しさを感じて、徐々におかしくなっていく。
おかしくなってしまうのも当然だ、愛に対して答えが出ないでいたのに、答えを出す前に死によって奪われてしまい、あんなに長い時間をかけて培った信頼関係もあっけなく失ってしまう。彼女に残されたのは、恋人の一人の友人、ワタナベくんだけ。
ワタナベくんは直子が好きで、愛している。しかし、直子はワタナベ君を最後まで愛していなかった。彼の愛しているよという言葉を言い聞かせてもらってただけだ。なのに、セックスがうっかり成功してしまったことからさらに、キズキとの愛があがふやなものになっていいってしまう。直子には、もう、愛がなんなのかわからないはずだ。好きでもない男とセックスできてしまったのだから。たった一回だけれど。
しかし、そんなワタナベくんでも直子にとっては特別な存在だった。一度セックスできて、信頼もしている人。直子の存在をかき乱す、好きという気持ちだけが伴わない存在。でも、肝心の好き、がわからない。だから好きになることはおろか、愛すことなんて、もっとできないはずだ。
直子が、死にたいと思うのが痛いくらいわかる。
愛もわからない、好きもわからない、信頼だけを頼りに生きてきて、なのに何も本人の口から聞くことなく死なれて、一人にされて、自分を愛してきたワタナベ君と適当に寝れてしまって、ますます愛がわからなくなって、でもワタナベくんは色んな女の子とセックスするし、気になる子だっているのに、自分はあれ以降セックスもできないから、彼を引き留める女になることも出来なくて。
だから
「私を覚えて居てほしいの」
だから、死ぬしかなかった。
これだけ、わからないに囲まれていたら死ぬに決まってる、苦しいに決まってる。
覚えてもらえていたら、悩んでいたことも覚えて居てもらえる、自分が存在したことも。
本の冒頭では、もう直子を思い出すことはできなくなっている終わりを迎えるけど、映画ではあの冒頭シーンがない、だから、直子にとってはいい終わり方なんじゃないかなあと思う。